話を元に戻そう。
正直、彼女が帰って、ホッとした半面、少しばかり喪失感もあった。
ただそのホッとした気分というのは、その時期がきわめて大きかった。
破綻しかけている私の生活の出直しのチャンスでもあるからだ。
もちろん彼女は、ただ帰らない。
「ピリピン 二 デンワシテ」と、番号を渡してくる。
ピリピンとは、フィリピンという英語読みでなく、
本国人が誇りにしている正式な言い方だ。
私も、ほとんど、彼女の会話では、ピリピンと言うことにしている。
さて、この国際電話が、曲者で。
当初、掛けるのに苦労した。電話代も大変だ。
ただ、彼女から国際電話のプリペイドカードというものを利用すると
良いということを、聞いていた。
2005年、2006年頃は、
電話と言えば、NTTとKDDしか知らなかった私にとっては、
その国際電話のプリペイドカードというものが、とても胡散臭く感じたものだ。
そのあたりについては、当該ブログのブログ
”★なぜ、急にフィリピンへ行くことになったのか。Part-1 ”に、
詳細をかいているので、ここでは、省かせていただく。
とにかく、私とシショウのフィリピン通いは、沈静化すると思ったが。
そうはならなかった。
私とシショウは。やはり週に1-2度、自由が丘や中目黒で会っていたのだ。
1軒目の白木屋で、呑んだくれて、業界の話や映画論などを話しながら、
共に、2軒目が行きたくなる。
それが彼女が不在のインパクトだったりもするし、他へ出向くこともあった。
これも以前どこかに、書いたが、1軒目は、私が払い。
2軒目は、シショウが払ってくれた。
私たちは、どうしようもない懲りない「カモ」なのだ。