夢見心地☆改めて無関心になる意義を思う ★20#0399

フィリピン-ピリピン

ひと昔、以上前のことだが大流行した、
ちょっとしたある言葉に、私のお気に入りの言葉がある。

それは、
最近では、ほとんどTVでは観ることが少なくなった
お笑いタレントのムーディ勝山が歌って、一時期流行した歌詞についてだ。

   「右から来たものを左へ受け流す」
     (「右から来たものを左へ受け流すの歌」より)

時に、大人気(おとなげ)なく、ちょっとしたつまらないことで感情的に切れ、
ショートしやすい難点のある私にとって、
自省を深める意味でも、改めてこの歌詞の素晴らしさを思わせられる。

余談で言えば、
そのムーディ勝山は、なぜ、こんな歌を思いついたのだろう…。と、ふと思う。
本人に聞いてみたいくらいだ。

当時、彼がTVに、頻繁に出て、この曲を歌っているときには、
あまりにもとぼけた内容に、
私も観客の一人として、ただ思わず笑っていただけだが。

いま、
トランサーフィンを学び、さらにシリーズの本を読んできた私にとっては、
改めてこの歌詞の凄み( = 大袈裟な評価をし過ぎかもしれないが)や
真価を見直している。

といって、
この歌の上述した引用部分を無条件に絶賛しているわけじゃない。

トランサーフィンの考え方に沿ったとき、
その範疇でみるとき評価したいと思っているだけだ。

私が、引き合いに出しているトランサーフィンには、

もっと、
大胆な言葉が投げかけられている。
それを紹介しておこう。

  「最大限の無関心を示し、平然と負けてしまおう。」
 (「[振り子の法則 トランサーフィン] 超スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法」
      ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

というものだ。
まさしく、

   「右から来たものを左へ受け流す」

である。

私がこの言葉に、惹かれたのには、理由がある。

個人的に言えば、いま起きている事象に対して、
あまりにもはっきりしている対応だからだ。
ただそれだけに尽きる。単純に言えば、こうだ。

つまり、どうでもいい自分の物理的現実に現れた、
他人の姿をカタチを借りた「私」という無駄な相手と闘わないためである。

文字通り、物理的にも争わないということのためでもある。

私のこれまでの性(性[しょう]・性質)と
あまりに
真逆なトランサーフィン的な考え方は、………。

私が、世の中に個人としてデビューをし、だけでなく、
それなりの数の門松を潜ってきて思うことは、若い時の過ちに気づかされることだ。

ただ有難いことに私は、いつも「ついている。」いや「ついていた。」
見直してみると、有難いことに、守られていると思うことが結構ある。

無駄な相手と闘わないためということでは、
私は、トランサーフィンの教えに近いことをしていたことに、
感謝している。

高校時代の一時期に、

   「最大限の無関心を示し、平然と負けてしまおう。」
     ([振り子の法則 トランサーフィン]:前出より)

という実践を、
何も知らない私は(= トランサーフィンの考え方が本となるずっと以前のことだ。)、
粛々と行なっていたのだ。

例えば、
私の高校生時代は、
あまりに学校の校風の雰囲気に、失意に包まれ、
呑み込まれていた。

それでもというより、その反発かもしれないが、
私は、自己主張の強い一面があり、ホームルームやちょっとしたクラスでの揉め事に、
すぐに意見を、稚拙な自説を振りまいていた。

臆面もなく。

そんな私に、ある種の反動で、ちょっとした嫌がらせが向けられていた。
いわゆるいじめなのだが。
クラスの一個人だけだったが、陰湿な振る舞いをする人物が一人いた。

目立たないTというクラスメイトで。
人としての善意が一切、顔に滲み出ていない、
いかにも嫌味たらしい風貌の同級生だった。

私が不快な思いをさせられていたのは、このTのみで、
その意味で、
私はいわゆる集団でのイジメの犠牲者にならならくて良かったと、
いまは、考えている。

彼の陰湿な振る舞いは、非常に姑息で、偶然を装うものが多かった。
毎日ではなく、忘れたころに思い出させるように、仕掛けてくる。

例えば、
ワザとすれ違いざまに、私が脇見などをしているときに、わざと身体を意図的にぶつけてくるのだ。
充分に計算された偶発性を装って、
その解釈は、どうとでも採れるようなぶつかり方をしてくるのだった。

私は、当初鈍感で、自分がなされていることについて、
ほとんど気づいていなかった。ただぼんやり、またぶつかった…。
と、悪意が含まれていることは、思いいたらなかった。

だが、数ヶ月に5-6度授業時間外にそうしたことがあれば、やはり気づく。

いつも不意を突かれて、反撃するタイミングを逸していた。
なぜなら、偶然を装われているから、
反撃すれば、こちらが言いがかりをつけたようになってしまう。
そんな狙いすました嫌がらせだった。

高校3年のときの後半ぐらいから、
彼の意図的な振る舞いに、はっきり気づくようになって…。

そのいずれにも、
結局、抗議するタイミングをすべて失っていた。

私は、やられ損をしたような格好だが。私は、いま抗議のために
反撃しなかったことを感謝している。
はっきりいえば、「ついてた」と思っている。

私は、他の級友たちとうまくいっていたし、
ホームルームなどでの自己主張もそれで、折れてしまうほど、
軟弱でもなかったので。何も変わらない。

というより、まず私が反撃を意図して大きな問題にはしなかったこと。
そして、それ以上に、
Tの嫌がらせも、抑制的で、エスカレートしなかったのは、
理由があると思っている。

それは、Tの嫌がらせを一切無視していたことが、
功を奏したと思わされることだ。

相手は、私に挑発していたのだから、それなのに私は一切、反応しなかった。

それが良かったのだ。

トランサーフィンの流儀に正しく沿っていたこと、
いまその意味について、よく分かる点でとてもありがたいと思う。



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