【フィリピン訪問記】 彼女のお母さんのお墓参り その2 2012年代 #19-44

ハロウィーン

●昔、彼女がお世話になった親戚を尋ねた。

気立てのいいタクシーの運転手は、どこへでも、ひょいひょいと足を運んでくれて、どこへでも付いてくるそんな感じだ。もっとも、どこまでも図々しくという意味ではない。それなりに、距離をおいてくれる。その加減が見事だ。フィリピンには、こんな気のいい運転手もいるのだ。

彼女はと言えば、ほぼ同年齢ぐらいのかなり親しい親戚筋の女性の家へ行って、彼女はそこで昔話をした。そのお宅は、何か美術系の工芸品のようなものを作って販売しているようだった。別棟では、サリサリを大きくしたようなビジネスもしており、生活は、そこそこできているようだった。

●親戚筋からご馳走になった。

「お昼を食べていきなよ!」というような会話になったんだろう。そこに1時間程度おじゃましていたら、裏の厨房で、食事を作ってくれていた。鶏のから揚げや、フィリピン料理などが、大きな皿に品数を揃えて出してくれた。この時、タクシーの運転手も食事に呼ばれて、一緒に食べた。私たちはと言えば、食べてそのままというわけにはいかない。

彼女は、そっとほぼ親戚筋の同年齢の女性と、そのお母さん(おばさん)に、心付けを配った。ここの家に寄ったのは、彼女のお母さんのお墓の様子や、そのお墓が、親戚筋に間借りしているような格好になっているので、そのあたりの今後のことなどを話したようだ。彼女からは詳しくは聞いていないが。やや肩身は狭いらしい。

またお墓がしばらく放置されていたので、多少荒れているような話も聞いたらしい。そこの親戚筋のおばさんに、この後お墓を案内してもらうことになっているという。彼女自体もあまり場所を正確に知らないようだった。かなりボリュームのある食事をいただいて、
私たちは、そのお母さん(親戚のおばさん)の案内に従って、お墓まで歩いて行った。

●お墓の間借り

およそ5~6分程度歩いたように思う。そこは日本のお墓とは、まるで趣が事なる。日本のお墓のように墓全体がオープンではない。お墓の敷地ごとに区切られている。

カタチは。食パンをイメージしてもらうとわかりやすいのではと思うが、あの食パンを人が横たわれるような大きさにした感じ。と言えばいいか。長さ2メートル。幅1.2メートル。高さ1,2メートル強の箱型の石を横たえた感じだ。この石の中や下なのだろうか。彼女のお母さんが埋葬されているようだ。

といっても、土葬がフィリピンの習慣なので、それをイメージしてもらいたい。またここは、本来、彼女のお母さんのお墓ではないこと。すでに述べたが、間借りしているということだ。恐らく、この巨大な長方形の石の下に埋葬されているのだろうと思う。葬式に立ち会った分けではないので、具体的にはよくわからない。

この巨大な石の外観は、水色にペイントされていた。周りに何か、書いてあるが。いわゆる没年や名前だろう…と思う。そこまで詳細に見なかった。この巨大な石が、敷地内に結構な数あった。10が所以上はあったかもしれない。

この巨石のひとつ、ひとつの敷地が、それぞれ四角くネットのようなもので、「コ」の字ように区切られていた。隣との境界ごとにネットが張りめぐらされていた。お墓の巨石は、どちらが正面というのが、いまひとつよく分からないが、ロウソクなどがある方が、そうなのだろうと思った。

彼女は、ロウソクに、火をつけ、手を合わせた。私も祈った。子どもたちは、そういう場所なのだなという神妙な顔をして、祈っていた。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

フィリピンの葬儀は、数日続く!

[su_note note_color=”#fffad9″ radius=”6″]フィリピンは、一年を通じて暑いので、葬儀と言っても大変だと思う。それが、長いと一週間ぐらい続くようだ。遺体の管理も大変だろうと思う。

ユニークなのは、Pancit Canton(パンシット カントン)と呼ばれる日本で言うところの「焼きぞば」がよく振舞われるようだ。どんな人も、葬式には、故人と縁あってもなくても自由に参加でき、その焼きそばが振舞われるらしい。

香典のようなものもあるが、そのあたりはあまり厳密ではないようだ。埋葬は、土葬。[/su_note]

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