フィリピンからの初めての帰国 2005年版 #19-0021

shinakagawa isle 帰国

帰国の朝

2005年12月中旬。この日、いよいよ帰国となった。6時には目が覚めていた。私は、ツインベッドの下で寝た。ツインベッドは、いわゆるシングルが2つという感じではなく小さく狭い。子どもたち二人を一つのツインベッドに。もう一つは、彼女が寝た。私はその下に寝た。入り口に近い居間には、甥っ子と、子どもたちの面倒を見てくれていたおばさんが寝ている。

ツインベッドの部屋にこんなに大勢で、しかも雑魚寝状態で寝ていても、とりあえず問題はないようだ。数年後に聞いたことだが、料金上は、一人500ペソ(約1,000円)ほど、追加料金が掛かかる。払ったとか言っていたように思う。いずれにせよ。安上りだったのは、ありがたい。何でもありの国というのは、こういう柔軟なところが良いのだ。

私は、仕度の要領が悪いので、さっさとシャワーを浴びた。まだみんな寝ているらしい、はっきり言うが、ここのホテルは、安ホテルだ。施設的には少し問題がある。まず、シャワー室に入ると、こぶし大の蛇口が3つある。真ん中が赤い色で、いかにもお湯が出るような印象の蛇口だ。ところが、蛇口のいずれも、反応が緩いのだ。蛇口が空回りする。

右の蛇口だけが、水が出る。しかし、水圧が低い。いわゆるシャワーというイメージでの勢いがない。お湯が1-2分くらい出たような気がするが、そのあとはさっぱりだ。ここは日本ではない。何でもたっぷり充分なサービスが期待できる日本ではない。私は、すぐ柔軟に受け入れられた。文句を言っても始まらない。ここは何不自由ではない日本ではないんだ。

私は、それなりにシャワーをできて感謝した。昼前になったらここを出ることになる。モタモタしていられない。もう一つ難点な問題が生じた。排水の状態が悪いことだ。これも受け入れた。フィリピンの抱えている問題の根深さに、私は、少し傲慢だったかもしれないと反省した。そしてフィリピン人の情緒や文化、風土をいとおしく思った。

日本人の尺度で、日本の恵まれた文化度で、地球歩きをしてちゃいけないと痛切に感じた。子どもたちも、彼女もそれなりに今この瞬間を愉しんでいるように、私にはそう感じられた。少なくとも私だけは、そう感じていた。それでいい。

彼女が作ってくれた朝の食事

彼女の気持ちがありがたい。いつも何かしてくれようとしている。その一つが朝食だ。昨日、ショッピングモールの中のフードコーナーで、何が食べたいと尋ねてていたのはこれだった。ウインナーがと卵、食パンだ。おいしくいただいた。これで当分、彼女とも会えない。まだ2005年のこのときは、ネット環境も、まだまだ。

skypeなど、利用できる状態ではなかった。日本に戻ったらIP-phoneで安く電話するしかできない。それでもすぐ使えなくなるプリペイドから一つランクが上がった。電話料金もずっと安くなった。それでも、1か月、電話代で2-3万は掛かっていた時代だ。毎日、10分以上は電話で、お互いの気持ちを確かめていたそんな時代が、数年続いた。

朝食は、幼い子どもたちと小テーブルで食べた。タガログ語なので会話はできないが。子どもたちの表情を見ながら、それなりに楽しく食事した。長女は、2つ年上の長男によくいじめられている。よくあることだ。微笑ましい。

11時近くなるころには、みんなシャワーも終わっていた。テレビでは、何やらアニメが映し出され、子どもたちも、テレビに集中したり、別な事に気を取られたりしたりしながらも、またアニメを見て笑っている。ここいらは、日本の子どもたちと何ら変わらない。

いよいよ空港へ

そろそろ時間になった。もちろん、空港まで送ってくれる。カウンターで清算を済ませた。
二人の知り合いの女性は、この朝は、いなかった。夕方からの出勤のようだった。出口では、ドアマンが、丁寧な対応をしてくれた。彼女が、さりげなくドアマンにチップをあげたらしい。また来たらよくしてくれると言っていた。

ドアマンが、タクシーに何かを告げて、私たちは荷を積み、タクシーに乗り込んだ。このパサイからなら、20分ほどで、空港まで行けるということらしい。ほとんど混雑もなく、スイスイと流れた。彼女は、私にいろいろつぶやいた。

私が来たことを、感謝する言葉を切々と語りだした。といっても日本語が十分ではないので、流暢な会話ではない。だが、彼女の気持ちはよく伝わった。そして「アリガトウネ マッチャン」と言われたとき、すでに私の目に涙があふれそうだったが、いよいよ我慢できずについに私は嗚咽してしまった。「クーゥ」と息をこらえて、嗚咽を抑えた。私こそ彼女に感謝だ。

彼女は、私が嗚咽したことにビックリしたようだ。彼女の顔をはっきりみなかったが、彼女の目も赤かった。そして、いよいよ空港に到着。ほぼ一週間の短い旅行だったが。充実していた。子どもたちと握手をした。彼女を軽く抱擁して別れた。「マッチャン デンワチョーダイ」「うん。ありがとう、またね」と答えた。

成田到着

15:30pmの出発、成田行きの飛行機に乗った。「あ…」いろいろと問題がある日本に帰ると思うと、気持ちが重い。離陸後の飛行機の窓からマニラ付近を見た。海が夕日に映えててらてらと光っているのが見えた。今度はいつここに来れるだろうか。

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フィリピンの思い出を胸に、4時間のフライトが終わった。日本に着くと、20時を過ぎている。そうだ、お金がないんだった。帰れなくなる。やばい。空港内を走り回った。この時間になるとキャッシュ・ディスペンサーのある店がすべて終わっているのだ。どれほど、空港内を走り回っただろう。焦った。やっとATMを見つけた。うる覚えだがCity Bankのロゴがあったように思う。

そこで、帰りの交通費、特に成田エクスプレスの料金が必要だったので、何とか現金を出すことができた。外国へ行ったら、多少の日本のお金は持っていないと、日本の空港内、特に成田では、20時を過ぎると、売店がやっていないのだ。焦った。普通にあるATMから現金の引き落としができないことがあることを知った。

便利さを過信しては駄目だということだ。少なくもこの時はそうだった。現在の話ではない。あくまでも15年前の話だ。売店がやっていなかったのは、日曜の夜だったことも関係しているかもしれない。とにかく、玉手箱を開けた浦島太郎のような気分だった。反省。反省。反省だ。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

帰国のときに交通渋滞に巻き込まれないようにするには?

フィリピンの交通渋滞は、よく問題視される。だが、よそ者の私たちが、帰国の際に交通渋滞に巻き込まれたら、最悪だ。交通渋滞で多少遅れたからといって、飛行機は待ってくれない。 たまたま私は、これまで運がよく。交通渋滞に巻き込まれないサイクルで出国できていたようだ。

フィリピンの交通渋滞は、慢性的だと言われていても、その大半は平日に偏っている。朝晩の出勤退出時間にそれがとりわけ集中する。それは当然でもある。加えて、フィリピンでは、行くと気づくが、信号機をほとんど見かけない。見た記憶すらない。よくバランスがとれていると不思議に思っていたほどだ。

ズバリ結論を言ってしまおう。土日の訪比、帰国に合わせたスケジュールとすべきだろう。
特に日中の便で訪比、帰国となるスケジュールで移動することだ。これが渋滞を避ける最低限の方法。さらに帰国の際は、ニノイ・アキノ空港の傍のホテルに宿泊することを選択しよう。空港まで20分くらいの距離の周辺とすべきだ。

そして帰国の際は、20分で着く距離でも、3倍は見ておいた方が無難だ。フィリピンは、ちょっとした休日が非常に多い。何かのパレードが突然行われていたりすることもあるので、注意が必要だ。また私の場合は、空港まで彼女が付き添ってくれていた。これも安心だ。緊急の連絡の際に彼女に対応してもらいやすい。

またタクシーを利用した場合、渋滞なので時間が掛かった場合は、料金の上乗せなどを要求してくることが多いようだ。争っては駄目だ。最悪なことを招きかねない。予定より1000ペソ程度の上乗せなら、受け入れてしまった方がいいと思う。悪名高い、フィリピンのタクシーだが、基本が日本よりはるかに安いのだから、大人の対応をすべきだと思う。

まず安全に、予定通り帰国をすることを優先しよう。異論はあるかもしれないが私はそう思う。

フィリピンからの初めての帰国 2005年版 #19-0021 まず安全に、予定通り帰国をすることを優先しよう。異論はあるかもしれないが私はそう思う。 [/su_note]
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