これまで何度も、書いているように、
私は彼女のいるpub「インパクト(仮称)」に通い詰めて、
生活が、激しく苦しくなった。当然である。
彼女は、インパクトの店に、2回来た。その最初のシーズンに出会い、
私が、一方的に困窮する運命の出会いとなった。
最初のシーズンは、ほとんど覚えていないが、6カ月居たうちの、後半の3カ月以上を店に
通ったのだろうと思っている。
前回の上野デートをする頃には、彼女は、
再び「インパクト(仮称)に戻ってきたい。」「戻りたい」というようになった。
そのために、
「シャチョウサン 二 オニガイシテミル」
彼女の情熱には、不思議な部分があり、彼女が強い信念で、
思ったことには、それを成し遂げるというパワーがある。
それは、後に意外なカタチで、知ることとなった…。
いつかそのことを書くかもしれない。
彼女の1度目(ファースト・シーズン)では、いろいろと彼女の押しの強さに、
押し切られた部分があるが、私自身も、「それでいい」と半分受け入れていた部分もある。
だから、私が生活に困窮しだしたのも、自業自得なのだ。
とはいえ、彼女が、帰国したとき、どれほど「ホッ」としたことだろうか。
もちろん、お金の面でだ。
彼女に戻ってきてほしいという部分もあったが、
難しいのではという思いもあった。
彼女がいなくなってからは、
私とシショウは、あまり「インパクト」に行かなかくなった。
それでも、私たちは、すでにフィリピ―ナの明るさや、率直さ、情熱には、
どこか魅力を感じていた。
彼女たちは、いま目の前の厳しい生活をどう生き抜くかがすべてであり、
日本女性のように、心の贅沢で、逃げながら追いかける表裏を見せない。
分かり易いのだ。とにかく、面倒くささがないのだ。
普段は、きちんと態度に示すことがないくせに、ある日、
突然、あなたは「重い」ところがあるだとか。
夏目漱石の作品に出てくる女性のような厄介な言葉を投げかけることがない。
さらに、言えば。
去り際に、そんな「迷宮の言葉」をあえて残すこともない。
反応は、非常に分かり易い。
理屈でなく、「No」は、「No」。「Yes」が「Yes」なのだ。
はっきり気持ちを伝えたら、相手に悪いからというようなことを、
「私の気持ちを、それとなく分かってほしいの」というように心模様を、
思わせぶりに絡ませて濁す中途半端な忖度がない。
その上、ストライクゾーンの間口は広い。
もちろん人にもよるだろうし、そんなに単純でもないだろう。
皆が皆そうではないのかもしれないが。
ただ世界というものを感じる。
日本人女性だけが、根っから四畳半の襖張りの視野の中にいる。