夢見心地☆観念の果て ★19#0024

shinakagawa isle 夢見空間

母の月命日は、10日だ。母が他界してほぼ25年になった。

そこそこの歳月になるが、
いまでも母が亡くなった日の直後に起きたある光景をはっきり覚えている。
それは、どこか特異な美しい光を放った照り返しだった。

まるで、ドストエフスキーの「死の家の記録」(言い切ってしまったがちょっと自信がない。彼の別の作品だったかもしれない。)にあった主人公が、恩赦で、処刑台から降りる直前に眺め観た朝の光に自らが溶け入るような感覚を描写するシーンがあるが、それを思い出させるようなものだった。

母は末期がんで、延命措置は取らなかった。死の宣告を告げられてほぼ1年目で他界した。
その話はしてもネガティブなので、それ以上は取り上げない。

で、母が他界して病院に呼ばれて1時間ほどで品川の病院で兄夫婦と
兄の子どもたちと合流した。兄夫婦たちは、町田から駆け付けてきた。

彼らが病院に到着するまでのその少し前のこと、
私は、病室や廊下などが、交差するちょっとしたロビーの東の窓から、
ぼんやり外を眺めた。私以外の世の中は、まだ朝の8時前だった。

当然のことだが、母は死んでも、街や人は無関係に動いている。

誰しも自分の生活のリズムのとおりに準じている。通勤や通学で行き交う人の姿。
黒いコート姿の人も多い。そして靴音や段差だろうか、自転車のフレームの何らかが
軋む音などがする。こうした街の吐息のようなものが、
密集する屋根のそこかしこから、ここ4階の窓にいても聞こえていた。

私は、世の中の日常とは違う動きの中にいて、
時間から取り残されているような錯覚を覚えた。

ふと、遠い窓の向こうを観たときだ。
黒い屋根の傾斜のほぼ正面がこちらに向いていた。

この日、冬の太陽の照り返しを反射していた。
その時に前述した「死の家の記録」の記述を思い出した。
ただ異なるのは、光の美しさの現れ方の不思議さだった。

太陽の照り返しが、同じ屋根に、なぜか二つが並んでそこにあるのだ。
物理的な法則からすれば、それは、ちょっと奇妙だ。

いわゆる照り返しの照り返しが偶発的に、そのように表れたのかもしれない。
だが、私としては、いま母の死を受け入れたばかりであった。
そのタイミングで、こうした光の偶然の現れを見たことに、どうしても母の死と関連づけてしまう。やむを得ないというあたりをどうか寛大にその話を受け止めていただきたい。

改めていうが。この話は、特別に誇張などはしていない。
この話は事実だ。勘違いでもない。

私自身、それは、合理性を欠く理不尽な風景だと思った。しかし、
今の私の心の中では、それは朝の陽の光ではなかったのかもしれないと思っている。
私と母が、この次元で別離れた瞬間の投影を観たのかもしれないと思っている。
そして、その風景を眺めていた後、兄たちがやって来た…。

私は、パラレルな世界観を信奉している。それは哲学でもあるが、ある意味、信仰宗教みたいなものだと言われれば、私は苦笑いするしかない。こう言う言い方をするのは、宗教だと思っていないから、客観視して自分の置かれている立ち位置を冷笑気分で口にできるのだ。
その私たちは、誰がなんと言おうと、自分自身の本当の姿を見たことがない。
鏡に映る姿を見ることはできるが、それはすでにすべてが反転した虚像だ。
自分の手や足や身体のほとんどを観て感じても、自分自身を観る事は、この物理的次元ではできないように制限が加えられている。ただ私たちは、納得しようが、しまいが、スピリチュアルな存在として在るのだ。

こんな私の与太者風情の観念で、敢えて言うが、母は、私の次元では、確かに死んだが。別次元で、生きていると思っている。それは、自分自身を認識できないように別次元でだ。


パラレル・リアリティとはそういうことだ。別次元では、もっと以前に母は、死んでいたかもしれないし、私のリアリティから、ほど遠い別のリアリティでは、やはり今も生きているのかもしれない。いや理論上は、生きている。もっとも私がこの次元にいる限りおいては、生きている母のいるリアリティとクロスすることはもうない。


パラレルリアリティとは、ハムをスライスしたときのように、それぞれの一枚、一枚は、微妙にちがうのだ。その微妙な違いがあって、存在している。その僅かな違いがあっての平衡宇宙の無限の連鎖なのだ。だが、それは同時に存在している。

こんな奇妙なことを言えば、正気を疑われるかもしれない。それはそれで、結構だ。
ガリレオが地動説を唱えた時は、奇人扱いをされたはずだ。それでも相対的な真実は、奇人の方にあった。

私が、前出したことをあえて言ったのには、それなりの根拠がある。

私は、この記述をする少し前に、私の遠い過去から、いままでの人生の一部などを振り返ってみた。特に際立って感じたのは、遠い過去の方の人々だ。幼年時代に出会った人々については、その後、噂を耳にすることも全くなく、当然、当時、中高年だった方は、おそらく亡くなっている方も大勢いるだろう…。

その人たちを含め、世代的に近い人々などについて考えたとき、その人たちは、その時期、私の人生の一瞬を、同じリアリティの中で、クロスして出会った。
宇宙的な必要があって。
いま、その彼らに、会ってみたいなどと望むことはないが、

なぜ、その人たちと出会ったろうのだろうかと思う。
そして、宇宙的な都合で、今は、その必要がなくなったのだ。
私の記憶に残る一部の人たちは、別次元の中のリアリティの中で、生活している。
2度と私のいるこの次元でクロスすることはないだろう。

しかし、彼らもまた、
私に観せていたリアリティとは、異なるリアリティの中で、生きていることだけは間違いない。

今の私のリアリティの中では、冷淡に聞こえるかもしれないが、彼らが別次元で生きていようが、いまいが、それは関係のないことなのだ。普段、意識にのぼることはない。その意識の認識においては、リアリティが異なっているため、死んでいても、生きていても、意味はもたないのだ。
と、母の月命日に、極めて世迷言を。勝手な思いを追悼の言葉とさせていただこう。

なんにせよ。
母との出会いに、深い感謝している。ありがとう。

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