言葉には、力があることは誰でも、承知している。
人から、不快な言葉を聞けば、意識がすぐに反応し、
瞬間に怒りや不安や動揺を来すことがあるし。
ありがたい言葉を投げかけられれば、意識は、喜びにひたり、楽しさ、幸福感を招く。
それらの言葉は、意識を通じて、潜在意識にも浸透していくだろうということは、
およそ想像もつく。
ネガティブな言葉の積み重ねで、ストレスになる。潜在意識は、身体にちょっとした反応を起こす。その反応の表れは、いろいろあるだろうが、比較的軽いところでは、湿疹が出たり、頭痛や腹痛、それ以上の思いがけない重篤な病気を引き起こすこともある。
一方で、ポジティブな言葉を投げかけられれば、潜在意識は、私たちを活力とやる気にみなぎらせてくれるし、身体全体が若々しくなる。誰にもどこか躍動感を感じさせる生き生きとした振る舞いをするようになるだろう。
言葉には力がある。ということについて、分かりつつも、
その認識は、何となくの日常の中ではとても薄れやすいものだ。
特に、事もなく、それなりに好調で、
リアリティが推移しているときは、一層そうだろう。
だが推移が反転して、自身に問題を抱えた場合は、上述した意味においても、
自分の言葉に充分な注意を向ける必要があるのは言うまでもない。
なぜなら、
そこで無意識になってしまうと、
状況をさらに悪化させるスパイラルの中に取り込まれるからだ。
そして、
抱えた問題に耐え切れずに。
ついネガティブな思いから発する言葉を、
知らずのうちに、周囲に撒き散らしてしまうことがある。
例えば、
「私は、いま○○して、こんなに不幸なんです。」
「私は○○な問題を抱えているんです。」というような。
それは、他人に、自らの辛い愚痴や不安な状況を単に伝えるだけで終わらず、
最悪なのは、
自身にその発している言葉と同様のさらに悪い状態を、引き寄せることになるばかりでなく、
自らに刷り込んでいくことになるからだ。そして、その辛い状態、状況が、自らの確信になってしまう。
しかも、そのことには、まるで無自覚になってしまうのだ。
もし、
たとえ今がどんなに困難な状態と出遭っても、不平、不満、愚痴、怒り、怖れ、落胆などで、
ネガティブに受け止め言葉を発し続けるのではなく、
それは、自分が通らなければならない通過点だと積極的に受け止め、
その辛い状況の中からもポジティブな面を見出すよう心がけ、自身の言葉もポジティブにしていれば、
原因と結果の論理で、早晩、リアリティはそれに呼応してくる。
「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)には、
第14章に、《体に栄養を与える言葉》の項目がある。
この本の中で、中心人物のマスターが成功法則の教えのひとつとして、
あえて伝えている部分だ。
私は、「マスターの教え」を何度も読み返しているが。最初に読んだとき、この項目は、正直、つまらない感じがした。全体がドラマチックな教えに満ちているから、そう思われたが。
私個人からしたら、成功法則の学びを積むうちに、この項目の意味するところは、かなり重要な意味があると、今は理解している。
この項目の冒頭に、なぜ言葉なのかという意味の理解のために、
次の書き出しがある。
「さあ、これからとても簡単で、しかも非常に効果のある実習をやってみましょう。
ここに非常にパワーのある言葉のリストがあります。」
(「マスターの教え」:p101より引用)
と述べ、「マスター」は、言葉には、非常にパワーがあることを前提にしている。
さらっと読み進めてしまえるので、その点に注意が必要だ。
「非常にパワーがある」のだと言っているのだ。
この項目では、たくさんの言葉のリストが50以上が挙げられているが。(もちろん、それがすべてではない。)その一部を例にあげよう。
「集中力、平和、博愛、無抵抗、平静、一致、好意、正直、知恵、親切、理解、
直感、謙遜、聡明、決断力、記憶力、公平、思慮深さ、自由、指導、活動、寛大 …など (「マスターの教え」:p101ー102 より引用)
がある。
「マスターの教え」は、これらの言葉について、
「これらパワーのある言葉は、あなたが必要としているものを発見し、
それを満たす手助けをしてくれます。」
(「マスターの教え」:p103より引用)
と述べている。
言葉は、まさに体に栄養を与えるものであり、決して軽くみてはならない重要な心のビタミンなのだ。