夢見心地☆巨大ロボット ★19#0069

夢見空間

子どもの頃は、ロボットが欲しいと思った。実際、まだ都会の街にも、いまは、ほとんど消失仕掛けている縁日が、まだ、あちこちで見られた頃、その露天商で、ロボットが売られていて、家人に買ってもらったことがある。そのころのいわゆるブリキのおもちゃだ。

三角の頭をした顔の内部が光っていて、ゼンマイのうねりをあげながら、
畳の上で歩く姿がただ嬉しくて。幼年時代の私の思いは、それだけで一応遂げられていた。
SF漫画、TVアニメなどで、人間のような動きをする超人的なロボットが活躍の場を拡げると、ますます私だけでなく、多くの少年たちが、未来の姿にかじりついたものだ。

数年前のことになるが、
yahooのトップページのニュースには、ロボットの話題が出ていた。 《巨大ロボット「KURATAS」>>の記事があったのを覚えている。詳細は思い出せない。

いよいよ、そういう時代が始まったのだなと思った。そして、面白いのは、この「KURATAS」の名前だ。「KURATAS」は、金属造形作家の倉田光吾郎さんとロボット技術者の吉崎航さんが開発した4輪走行の1人乗りロボットだそうだが。

その当時の記事によれば、
   「『クラタス』は高さ4メートル、重さ4トン。鉄製で、建設機械などに
    使われている油圧システムとディーゼルエンジンで手足を動かす。胸部に
    コックピットがあり、人が運転して、時速10キロほどで走行する。」
       (前出:記事より引用)

とあった。
この巨大ロボットは、製作者の倉田氏の名前からとったものと思える。
そしてまったくの偶然だと思うが、この「KURATAS」の文字を遊びで、
多少入れ替えると、[START/KU(始まり)]が含まれている。

いますぐ、そこの未来――身近なロボット時代の到来を象徴しているとも言えるだろう。
いずれにせよ、巨大ロボット制作の夢のスタートを意味する出来事でもあるのだろう…。

この記事を拝読したとき、
私は、少年時代のように、ワクワクすることは、なかった。
それは、このロボットが、
「エバンゲリオン」でも「ガンダム」ほどでは、なかったからではない。

もっと、根本的に、感じるものがあった。
ある意味、すでに冷めているとさえいえる。決して冷ややかにみているのではなく、
ちょっと違った視点で、この記事を眺めたからだ。

「なぜ、人はロボットを創るのだろう…」という思いに、触れたからだ。

それは、人間の肩代わりをして、楽をさせてくれるモノを目指しているからという、
そんなレベルのことを言いたいのではない。

私は、ふと思った。

「擬人化なのだな…」

と。「なぜ…?」

で、さらに思うとき、ひとつの感じを得た。すでに私たちは、多くのモノを擬人化しているのだということを。
分かりやすい例で言えば、この巨大ロボットとの対比で言えば、
自動車が、まさにそれだ。

自動車は、ロボットほど、擬人化されていないが。
そして、擬人化されていない分、カタチは、ロボットと大きく異なって見えるが、それでも自動車は、擬人化の象徴なのだ。人間の手足となって、それ以上に働いてくれることを、念願に基礎を置いている点で、まったく同じなのだ。

ただ擬人化のためのデフォルメの作業が、機能としても、そこまで、至らない。
と当時に、
時代の制約もあったし、そして合理的な意味でも、物理的な要請の制約もあって、
ロボットのようなスタイルに、できていないということだけなのだなと。

必要が形を制約し、それで良しとしているということだ。
私たちは、自動車を未来ロボットのようにある意味、操縦している。
実際は、運転しているというが。

でも、記事にあるロボットという意味では、同じだ。
今後、どれほど巨大ロボットが、PC制御されようが、デフォルメの違いだけなのだ。
もう少し枠を広げて言えば、電気釜、洗濯機もそれぞれ、ある意味、すでにロボットなのだと気づいた。手足があり、口を利くことがロボットだとするのは、少し短絡しすぎなのだ。

話を元に戻すが。この巨大ロボットの意味は、いったい何なのか。上述して、私は、

「擬人化」と書いた。

だが、それは、本質を突いていないように思う。
もう少し、深追いするなら、私たちは、擬人化された商品群に囲まれていることに
気づく。その商品群の総体は、象徴的に言うなら、擬人化された商品群に守られる子宮の中にいるような赤子のようなものだと、なぜか、そう思った。
そう思ったとき、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」のラストシーンの赤子の姿が、ふと脳裏に浮かんだ。

このロボットに人間の代替わりを求めるとするなら。ふと思うのは、
人間は、制約から解放されようと自由を求めつつ、それでいながら、
あえて矛盾し、実は制約を認め、自ら受け入れ、
その制約をむしろ楽しんでいるかのように思えてならない。

なぜなら、
私たちが、自分自身の本当の姿に目覚めることができれば、
誰もが、いつでも標準装備で、宇宙の法則に則って大いなる無限の力を活用でき、
自由になれる力を持っているからだ…

こう述べたからと言って、私は、
巨大ロボットの製作は、あって欲しいし、反対する気など、毛頭ないといっておく。

今後、人間が入れないなどの危険な場所での作業をするためには、
絶対に必要だ。
まったく、その通りなのだが。

しかし側面として、どこか自己矛盾もやや感じている。

タイトルとURLをコピーしました