学生時代には、誰もが、美術の時間などに
「ダビデ像」胸像などをデッサンし、模写したことがあるのではないだろうか。
あるいはそれ以外のギリシャ彫刻か何かの像などの模写など。
だが、あれをどんなにデッサンしうまく描いても、だれからも評価されない。
単なる模写から超えて優れたときに、初めて、その独創性が評価される。
ピカソの絵などは、その際たるもので、写実を大きく逸脱して、独自の世界の極みを芸術的に高めたということだろう。でなければ、ただの稚拙な絵だと一笑に付されて終わっているはずだ。
またデッサンと同じように、モノマネ芸人が、ものまねされる俳優やタレント、芸人たちのそっくりそのままをやっても、ただ「似てる~!」と、評価されて、ただ一時的に終わるだけだろう。
そこにモノマネ芸人は、独自の工夫やアイデアで、ものまねされる被写体の人物が、本来なら言わないだろうことを。
あるいは、思わず吹き出すような滑稽なパフォーマンスをすることで、ややオーバーにデフォルメし、パロディ化することで、笑いを取り、そのモノマネ芸人は、大いに成功する。人気も出る。実際、そういうモノマネ芸人は、引っ張りダコで長く活躍できる。
実は、ここに一つの学びがあるのだなと思った。
私たちは、いかなる物理的現実をそのまま観て、そこに望まない現実や困難さを、まじまじと見続けている限りにおいて、ただそこに捉われてしまう。さらに思考をその望まない現実に方向付けている限りにおいては、ネガティブに劣化したその状態から、とても抜け出すことはできなくなるという理屈だ。
「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス 吉田利子[訳] SoftBankCreative p076より)
の中に次のメッセージがある。
「人生に前向きの変化を引き起こすには、現状を――それはほかの人たちの
あなたに対する見方を――無視して、望ましい完璧な状態に関心を
振り向ける必要がある。」(前出:引用)
これは、冒頭の模写ということで言えば、物理的な現実の単なる模写をやめて、むしろ独創的に望ましい世界を創造しなければならないということだ。
なぜ、「望ましい完璧な状態に関心を振り向ける必要」があのか。
その理由が、このメッセージの直前にある。
「あなたがたのほとんどは、現状(今の状態)に圧倒的な関心を向けているが、
それでは、変化は起こらないか、起こっても非常に遅いだろう。」
(「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス 吉田利子[訳] SoftBankCreative p076より)
という意味でだ。
今の望まない現状に意識がフォーカスし続ける限り、引き寄せの法則は、昨日のブログで扱ったパラドックスに陥ってしまう。
つまり、望まない状態への意識の集中に対しては、皮肉にも「引き寄せの法則」が働いてしまうからだ。
エイブラハムのメッセージは、
そうならないようにするために、次のような示唆を贈ってくれている。
「今の自分に起こっていることをただ眺めるのではなく、意図的に
思考を方向づけることで、『引き寄せの法則』が働く波動のパターンを
変えるきっかけが生まれる」
(「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス 吉田利子[訳] SoftBankCreative p076より)
と。