夢見心地☆成功の鍵とは? ★19#0136

フィリピン-ピリピン

ジョー・ビタリー博士が、
「ザ・キー」(ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳] イースト・プレス)
の著作の中で、成功の鍵、その秘訣について述べている。
それは、「えー、そんなことなのか…」と思いつつも、
やはり改めて、その言葉の重さを思わざるを得ない。

ビタリー(またはヴィタリー以降は、ビタリーで統一し記述する。)博士の示唆は、

   「いま、満足すること――それが成功の鍵です。」
(「ザ・キー」ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳]
      イースト・プレス より引用)

と述べる。
そして、

   「奇跡は、いま幸せなひとにもたらされます。」
「ザ・キー」(ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳] イースト・プレス)

と付け加える。

私たちは、この言葉を侮ってはいけない。
実は、このメッセージは、とても奥が深いからなのだ。

この言葉の背景にある概念として、
ビタリー博士のたとえ話を私流に簡略化して述べさせていただく。

それは、こんな話だ。
ビタリー博士が、自身のスタッフにランチの席で以下のように切り出す。

 「ホワイトボードに小さな丸を描き、こう言いました。
  『君たちは、今ここにいる。』そして、このホワイトボードを
  ショッピングモールなどにある案内図だと思ってほしいと言いました。
  『みんなは、ここからどこへ行きたい?』
  『上ですね。』だれかが言いました。
  『ホワイトボードよりもっと上へ。』別のだれかが言いました。
  『なるほど。みんなは上を目指したいんだね。売上を伸ばして、さらに
  業績をあげて、もっと豊かになりたい。そうだね?』
  全員がうなづきました。」

(「ザ・キー」ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳]
         イースト・プレスより引用)

とある。その上で、
ビタリー博士は、ボードの上に、みんなが、もっと上だという。
あたりに、あえて、もうひとつの丸を描いてみせる。
ホワイトボードには、最初の丸と、あらたに付け加えた別の2つ目の丸が描いたことになる。
そこで、ビタリー博士が、そのスタッフたちに、さらに質問をする。

このブログでは、
それは、私たち自身にも向けた質問でもあると思ってもらいたい。

ビタリー博士は、次のように質問を投げかけるのだ。付け加えた別の丸を指して、

   「『これがみんなの行きたいところだとしよう。そして、もっと重要なことを
    訊きました。『いまいる場所から、この場所へは、どうやって行く?』』」

(「ザ・キー」ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳]
          イースト・プレスより引用)

という質問をする。

これは、ある意味、禅問答のようなものなのだと思ってほしい。

ここでは、
みんなの行きたいところとは、直接的な意味での場所ということでなく、
象徴的な意味で言っている。
たとえば、
理想的な望む状態の到達点というような意味だ。

理想的な望む状態の場所(到達点)とは、目指すもの。そんなニュアンスに近いと受け止めてもらえば良いだろう。

直接の空間としての場所という意味でなく、むしろ、目標としていること、幸せな状態などを言っていると思えば良いだろう。

ビタリー博士の質問は、その意味を含んで質問している。
博士のスタッフは、しばらく沈黙のあと、現実的な答えを返してくる。

   「『まっすぐに最短距離でいく。』『できることをひとつひとつやっていく。』
    『営業電話の数を増やす』」
などだ。
(「ザ・キー」ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳]
         イースト・プレスより引用)

それを聞いた上で、
ビタリー博士は、意表を突く答えを返すのだ。

   「ほしいものを手に入れるための最大の秘訣は、いまこの瞬間に
    心から感謝することなんだ。この瞬間をありがたく思うと、つぎがおのずと
    やってくる。なんらかの行動を起こすよう促されるんだ。それが自分を
    さらに上へと導くことになる。」
(「ザ・キー」ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳]
         イースト・プレスより引用)

と述べる。
もう一度言うが、
これは、すべて象徴的な話だが、同時に、実践的な話でもある。

私たちが、いまここにいる丸の位置から、望む状態の上の丸に行くためには、

   「いま、満足すること――それが成功の鍵です。」
(「ザ・キー」ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳]
         イースト・プレスより引用)

というのだ。

これは、
言い方を変えれば、別の丸、目標とする丸に、
「いつか」それを達成したときに、
はじめて私たちは、幸せになれるのではないということを意味している。

その「いつか」あるいは「いづれ」を目指すとき、
そう思う限りおいて、

つまり、

「いつか」「いづれ」そうなると思うということは、結局、いつまでも、
「いつかそうなる」とそう思い続ける状態だけを現実化してしまうのだ。

決して、いつまでも、そこに至ることにはならない選択なってしまうというのだ。

「いつまでも」決して手に入れることのできない
「いつか」になってしまうという意味がある。

だから、
ビタリー博士は、

   「いま、満足すること――それが成功の鍵です。」
(「ザ・キー」ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳]
         イースト・プレスより引用)
と述べているのだ。



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