このところの年末の天候は、なぜか気の滅入る厭な日が多い。
すっきりした晴れの日が少ない。雲間からの陽ざしもままならない。
朝から曇天で、曇天が曇天のままで、十分もたないうちに、やがてパラついたりもする。
ナントカ曇天のまま持つ日もあるにはあるが…。持ちこたえられず、降ることもある。
12月は、空気が乾いている。晴れ間が長いという印象だったが。
すべて、裏目に出ている。
中でも、昨今は、そんな何かグズグズの日が多いような気がする。
すべては、晴れ間があまりに少ないことによる。
とにかく何か流れが良くないようなという感じだけはしていた。
それでも機嫌を良くしていたいという思いがあるので、気持ちを立て直そうとするが、
どうにも、うまくない。無理は、しなかった。無理する気にもなれない。
こんな日は、エゴが出ても自然体でいいと。すると、
詳細は書かないが、私に構わないでくれ!ほっといてくれ!と、
言いたくなるようなレベルで、とるに足らない些細な忌々しい事が、
私のまわりで次々とちょっかいを出す。
と、イライラが、パッと募り、やや不機嫌になる。
忌々しいことに、その挑発にのって、付き合っては決してよくないので、
自分の気持ちに「まずいな…」と思いつつ、
何に対しても、気を奪われないよう無関心でふるまった。
そんな違和感のある一日だったりする。
家路に着く頃は仕切りと降る雨の中、不機嫌の元を金輪際の帳消しにしたいという思いで、
調和のために、あえて傘をもたなかった。
有難いことに、それ以上に不快なことは、結局、起こらなかった。
でも、私は、いま感じている。
「実は、守られている。」のかなとそう思うことだ。
すこし不機嫌でいる程度の出来事を代償にして、ほんとうは、流れで、もっとロクでもないことがあって。しかし、そうはならないで、
何かのチカラで、
打ち消してくれたのだなと、そう思っている。不機嫌は、必ずしも最悪とは言えない。
あるいは、もしかしたら、
人生ラインの乗り換えが始まったのかもとも思う。
きのう、不機嫌だった理由はわからなくても、
ラインの乗り換えか…?という点では、それらしい根拠が、十分、思い当った。
つまり、
トランサーフィンのヴァジム・ゼランド氏は、いま居る人生ラインと別の人生ラインの乗り換え時には、不安定になるという意味のことを記述しているからだ。
あえてラインの乗り換えと書いたのは、乗り換え時に不安定になるという記述が、
全4巻の中で、2-3度記述があったからだ。
残念ながら、いま、その箇所の引用ができない。その場所を、しっかりメモすることなく、
曖昧な私の記憶に依存して、気がつくと、やはりその場所がわからない。
いづれ見出すだろう。
そのときに、また紹介させていただくこととする。
話をポジティブな面に変えるが、
私は、スライド(=イメージング)の大切さというものを、トランサーフィンのガチガチの理詰めで、納得させられた一人だ。
この本の著者が、ここまで言うなら、もう疑う余地がないほど。
その重要性を認識させられるのだ。だけに、いま実践している。
そして、その私の望む現実の一つは、すでに叶いつつある。
それが私の意図として、いまもっとも明確でもある。
当初は、金銭的に難しいかもと、苦しんでいたが。全く思いがけない方法で、見事に解決できた。準備は整い、時間軸の中で、体験すればいいだけなのだなと感じたものだ。
でも、引き続きスライドは続けている。もっと大きな体験を終えるまで。
つまり、ほかにも、いくつかトランサーファーとして、現実化したいことを、
イメージングしているからだ。
そのいずれかのイメージングの余波のような作用が、昨今のように、
理由もわからずに、不機嫌な思いを煩うのかもしれない。
見方を変えれば、
ラインの乗り換えかと思うような兆候を体験しているのかもしれないとも思う。
このブログにアクセスした方の多くは、人生ラインの乗り換えなどというと、
私の言っていることは、単なる世迷言か戯言かと思っているかもしれない。
そう思う方を否定しない。争う必要など一切ないと思っているからだ。
私は、私の実践において個人的に体験すればいいだけの話だからだ。私は、私の生き方の中で、
トランサーフィンと出会い。基本的な概念に大いに納得した。
あまりの驚きの概念と世界観に圧倒されて。人に押し付けるものでもない。
その上で言わせていたただくが。必ずしも、みなが同じように感じられる必要はない。
なぜなら、
私たちを取り巻く世界について、一つの納得できる概念と捉え方、見方を得たときは、
自分の身にいま起きていることに、個人レベルで、それなりに敏感になれるものだと思うからだ。
トランサーフィンの言う、スライド(=イメージング)を実践していくと、
著者は、次のようなことがあるだろうと言っている。
それを引用させていただく。
「仮に、今日、あなたは意気込んで、しかも十分集中して視覚化に取り組んだとしよう。
すると、翌日には、リアリティに何か普通でないことが起きていることに気づくだろう。
たとえば一日のうちであなたは、何人かのただならない外見をした人々――
極めて背が高い人、奇妙な服装をまとった人、不格好な人――などと
出会うかもしれない。」
(「トランサーフィン『鏡の法則』」
ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
と述べている。
これは、一例を述べたに過ぎない。私の例と違うではないかというのは、当たらない。
この記述を観たとき、そういえば、奇妙な感じを抱く人と出会った気がした。
事実、ある晩、たまたまスィッチを入れたTVから、
奇妙な人形のようなものが動いているのを観た。なんだろうと注目すると、
高原を歩く、貧しい外国に住む50cmぐらいの男性の実写映像だ。
ある番組のエンディング直前で観たのだ。偶然なので、それ以上のことは、わからない。
ただの映像じゃないかといえばそれまでだが。
しかも、この番組を他の多勢の人も見ているだろう。だが、
私は、その映像をわずか、2-3分の中でたまたま見かけたのだ。
まるでそれを見ることが設定されていたかのように。
それは、案外意味が深いことだ。また、
ゼランド氏の言う例だけがすべてではなく、単なる一例だ。
私が冒頭で取り上げた、一見、ネガティブなことともとれるようなことも、
全体としては、含んでいるものだろうと思う。
念のために言うが、スライドから得られる効果は、きっとあるが。しかし、
1回、2回、行っただけで、何か変化を得るというものではない。
これもトランサーフィンのどこかの記述にあったが、少なくも1ヶ月程度は、
スライドをやってみる必要がある。
と言っている。一日のうちでも数回以上。
☆ ☆ ☆
【フィリピン・夢見メモ】
フィリピン旅行をポジティブとするなら、日本に帰国するときは、なんとネガティブに気が沈むことだろう。彼女は、特別優しい女ではないが、にじみ出た優しさがあるのだ。別に愛想がいいわけでもないし、どちらかと言えば、ぶっきらぼうな感じがする女性だ。だが、優しさが伝わってくる不思議なタイプだ。
そんな彼女と数日間、一緒に暮らすと、フィリピンにいることに違和感がなくなる。毎日がのんびりとして、リラックスできる。
それが、再び、日本に戻るとなると、気分が滅入る。不安定になる。異国からの移動も立派なシフティングだ。このときには、不安定になりやすい。一つのつり橋から、次のつり橋にわたるときのような不安定さがある。人生の乗り換えのラインは、こんな感じだろう。ポジティブなラインから、ネガティブなそう思えるラインに移動するのは、不安定になる。
もっとも、渡り切ってしまえば、言い換えれば、日本に戻ってしまえば、戻ったで、そのネガティブさになれる。また重たい荷を背負ったきになるが、それが当たり前になって気にならなくもなる。とはいえ、意識して見る夢見を大切にしようと気持ちを切り替えるのみだ。
★戻る | ★前日の記事を読む
★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/
夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/