ビタリー博士の本を、改めて読み直し、手にしていま強く思うのは、
内容的に分かりやすく、
良い本だなという見直しをさせていただいている。
「宇宙スイッチ」(ジョー・ヴィタレー[著] 住友 進[訳] サンマーク出版)
にしても…。
特に、高評価して見直して声高に言いたいのは、
「ザ・キー」(ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳] イースト・プレス)
の方だ。
私は、当ブログで、読書感想文を記述したいわけでは決してない。
賢人たちの素晴らしい示唆やメッセージの引用を経て、感じていること、感じたことを、
または重大な関心を寄せていることに対し、
ちょっとした私なりの見方を書いてきているつもりだ。
その中で、前述「ザ・キー」を、自分の中で、大いに見直し、高評価させていただいている。
この本を最初に読んだのは、多分、数年くらい前だったように思う。
その時の印象が、実はあまりよくなかった。何か、もの足りない印象があった。
「宇宙スイッチ」には、箇所、箇所で、示唆を受けたものだが、
「ザ・キー」は、思い込みをクリアにするというテーマで、
前段、中段、後段の三部構成のようになっていて、
大きく中段にさまざまなクリア・メッソドが紹介されている。
そのクリア・メッソドが、何かしら、まるでメッソドのガイダンスのようで、
私の期待値にとって、やや馴染めなかった。方法論に偏っている感じが、
私には、ちょっと、注意が散漫になりやすく。つまりどう受け止めていいかを迷った。
なぜなら、
「ザ・キー」ということで、「ザ・シークレット」のような全体を貫く哲学的な
示唆を期待していたので、その思惑がはずれた。
それで、何となく、構成上の不満が残っていたのだ。
その後…、少なくとも、いまから4-5ヶ月前に、再度、読み返した。
どんな本だったかを思い出したいという面もあった。
その時は、スピリチュアル的なものへの多少の理解、成功法則本もかなり読んでいたので、
そこそこの知識があって、再び、三度なのか「ザ・キー」を手にした
その時に、この本に対する受け止め方が、少し変わっていた。
好意的に受け入れやすくなっていた。
なお、今回は、パート、パートで、読み返したのだが、
新たな示唆を受けて、非常に高い好評化をもって受け入れさせていただいた。
こんなにいい内容だったのかと、改めて強く思わされた。
ある程度の知識が備わって、何かの本を見直すと、とても得るものが多い。
大きな示唆を受けるものだなと、実感した。
他のビタリー博士の本をぜひぜひに、近々、読みたいと思っている。
ビタリー博士から得た示唆は、いくつかあるが、テーマの思い込みについては、当然だが。
それよりももっと強い示唆を受けた代表的なものとして、
「無意識のレベルによる引き寄せ」についてと、「ホ・オポノポノに関わる」ことだ。
これまでのブログで少し触れた「外には何もない」や、
「他人は自分を映し出したもの」などの、これまで学んできたそれらについて、
あいまいにしていた部分で、自分なりに改めて見なおすことができたことだ。
もちろん、すべてスッキリしたなどというレベルで言っているのではなく、
さらに深みへ導いてくれたという感じだ。
理解という部屋に通じる長く暗い回廊に、2-3の灯りを置いてくれたという感じとでも言えばいいか。その意味で、私の好評化が、そのまま他のすべて人に普遍的に、すごくいい本だなどというつもりではない。人によって違うだろう。
このままで終わると、
下手な読書感想文的になってしまうので、私がワクワクしたビタリー博士からの示唆で、先にあげた「無意識のレベルによる引き寄せ」について、少し触れておきたい。
この話が出てくるのは、後半部分にある≪「奇跡のコーチング」実践編―― テレビセミナー抄録≫の内容の中だ。
司会のリー・フォンダー氏がビタリー博士に質問インタビューするその答えに出てくる。
リー氏の質問は、次のとおりだ。
「赤ちゃんは『引き寄せま』ますか?たとえば、せん痛とかおならとか、
あるいは出生異常などの深刻な問題もですが。」
(前出「ザ・キー」より引用)
これに対し、ビタリー博士の答えは、長いものになるが、
冒頭、前置きとやりとりがあり、それを経て、次のように答える。
「赤ちゃんが無心で生まれてくるとして、生後6週間でもう病魔におかされる
赤ちゃんがいるとしたら、それは赤ちゃんが引き寄せたのでしょうか?
わたしの見解は『イエス』ですが、ただこれはわたしたちみんなが無意識レベルで
引き寄せているようなものです。」
(前出「ザ・キー」より引用)
引用という都合上、どうしても前後をすべて紹介はしていないので、ここの部分だけで、すべてを判断しないでほしい。ぜひ、「ザ・キー」の本を直接、手にとって、ビタリー博士のメッセージを正しく理解していただきたい。
そう述べた上で、
ビタリー博士のメッセージには、ある種の永遠の魂という解釈がそこにあるように思う。
これは、私の勝手な理解と推察だ。皆さんが直接、著書によって、確認し理解して
いただきたい。それまでは、決めつけないでいただきたい。
少なくも、私は、ここで述べられているビタリー博士の見解を支持したい。
といって、
それをいま、論じたいのではなく。
引き寄せは、意識したものだけを引き寄せているのではないということだ。
無意識レベルの引き寄せがあるということだ。
これについて言うと、
この質問のずっと後に、他の質問の中で、
次のように、ビタリー博士が述べるシーンがある。
「自分の人生に現れることすべてを、自分の内部を映し出したものとして
見つめなければならない。」
(前出「ザ・キー」より引用)
と述べている。
このメッセージの
「自分の人生に現れることすべて」とは、何か?
それは、私たちの無意識レベルの引き寄せが、少なくも関わっている
ということだろう。
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