夢見心地☆無意識レベルの引き寄せ ★20#0221

フィリピン-ピリピン

ビタリー博士の本を、改めて読み直し、手にしていま強く思うのは、
内容的に分かりやすく、
良い本だなという見直しをさせていただいている。

「宇宙スイッチ」(ジョー・ヴィタレー[著] 住友 進[訳]  サンマーク出版)
にしても…。
特に、高評価して見直して声高に言いたいのは、
「ザ・キー」(ジョー・ビタリー[著] 鈴木彩子/今泉敦子[訳] イースト・プレス)
の方だ。

私は、当ブログで、読書感想文を記述したいわけでは決してない。
賢人たちの素晴らしい示唆やメッセージの引用を経て、感じていること、感じたことを、
または重大な関心を寄せていることに対し、
ちょっとした私なりの見方を書いてきているつもりだ。

その中で、前述「ザ・キー」を、自分の中で、大いに見直し、高評価させていただいている。
この本を最初に読んだのは、多分、数年くらい前だったように思う。
その時の印象が、実はあまりよくなかった。何か、もの足りない印象があった。

「宇宙スイッチ」には、箇所、箇所で、示唆を受けたものだが、
「ザ・キー」は、思い込みをクリアにするというテーマで、
前段、中段、後段の三部構成のようになっていて、
大きく中段にさまざまなクリア・メッソドが紹介されている。

そのクリア・メッソドが、何かしら、まるでメッソドのガイダンスのようで、
私の期待値にとって、やや馴染めなかった。方法論に偏っている感じが、
私には、ちょっと、注意が散漫になりやすく。つまりどう受け止めていいかを迷った。

なぜなら、
「ザ・キー」ということで、「ザ・シークレット」のような全体を貫く哲学的な
示唆を期待していたので、その思惑がはずれた。

それで、何となく、構成上の不満が残っていたのだ。
その後…、少なくとも、いまから4-5ヶ月前に、再度、読み返した。
どんな本だったかを思い出したいという面もあった。

その時は、スピリチュアル的なものへの多少の理解、成功法則本もかなり読んでいたので、
そこそこの知識があって、再び、三度なのか「ザ・キー」を手にした
その時に、この本に対する受け止め方が、少し変わっていた。
好意的に受け入れやすくなっていた。

なお、今回は、パート、パートで、読み返したのだが、
新たな示唆を受けて、非常に高い好評化をもって受け入れさせていただいた。
こんなにいい内容だったのかと、改めて強く思わされた。

ある程度の知識が備わって、何かの本を見直すと、とても得るものが多い。

大きな示唆を受けるものだなと、実感した。

他のビタリー博士の本をぜひぜひに、近々、読みたいと思っている。

ビタリー博士から得た示唆は、いくつかあるが、テーマの思い込みについては、当然だが。
それよりももっと強い示唆を受けた代表的なものとして、
「無意識のレベルによる引き寄せ」についてと、「ホ・オポノポノに関わる」ことだ。

これまでのブログで少し触れた「外には何もない」や、
「他人は自分を映し出したもの」などの、これまで学んできたそれらについて、
あいまいにしていた部分で、自分なりに改めて見なおすことができたことだ。

もちろん、すべてスッキリしたなどというレベルで言っているのではなく、
さらに深みへ導いてくれたという感じだ。

理解という部屋に通じる長く暗い回廊に、2-3の灯りを置いてくれたという感じとでも言えばいいか。その意味で、私の好評化が、そのまま他のすべて人に普遍的に、すごくいい本だなどというつもりではない。人によって違うだろう。

このままで終わると、
下手な読書感想文的になってしまうので、私がワクワクしたビタリー博士からの示唆で、先にあげた「無意識のレベルによる引き寄せ」について、少し触れておきたい。

この話が出てくるのは、後半部分にある≪「奇跡のコーチング」実践編―― テレビセミナー抄録≫の内容の中だ。
司会のリー・フォンダー氏がビタリー博士に質問インタビューするその答えに出てくる。

リー氏の質問は、次のとおりだ。

   「赤ちゃんは『引き寄せま』ますか?たとえば、せん痛とかおならとか、
    あるいは出生異常などの深刻な問題もですが。」
     (前出「ザ・キー」より引用)

これに対し、ビタリー博士の答えは、長いものになるが、
冒頭、前置きとやりとりがあり、それを経て、次のように答える。

   「赤ちゃんが無心で生まれてくるとして、生後6週間でもう病魔におかされる
    赤ちゃんがいるとしたら、それは赤ちゃんが引き寄せたのでしょうか?
    わたしの見解は『イエス』ですが、ただこれはわたしたちみんなが無意識レベルで
    引き寄せているようなものです。」
     (前出「ザ・キー」より引用)

引用という都合上、どうしても前後をすべて紹介はしていないので、ここの部分だけで、すべてを判断しないでほしい。ぜひ、「ザ・キー」の本を直接、手にとって、ビタリー博士のメッセージを正しく理解していただきたい。

そう述べた上で、
ビタリー博士のメッセージには、ある種の永遠の魂という解釈がそこにあるように思う。
これは、私の勝手な理解と推察だ。皆さんが直接、著書によって、確認し理解して
いただきたい。それまでは、決めつけないでいただきたい。

少なくも、私は、ここで述べられているビタリー博士の見解を支持したい。
といって、
それをいま、論じたいのではなく。

引き寄せは、意識したものだけを引き寄せているのではないということだ。

無意識レベルの引き寄せがあるということだ。

これについて言うと、

この質問のずっと後に、他の質問の中で、
次のように、ビタリー博士が述べるシーンがある。

 「自分の人生に現れることすべてを、自分の内部を映し出したものとして
  見つめなければならない。」
     (前出「ザ・キー」より引用)

と述べている。

このメッセージの
「自分の人生に現れることすべて」とは、何か?

それは、私たちの無意識レベルの引き寄せが、少なくも関わっている
ということだろう。



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https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

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https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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