夢見心地☆無意識の指図 ★20#0230

フィリピン-ピリピン

ジョー・ビタリー博士の以下の示唆に注目しよう。

 「引き寄せは、意識したものだけを引き寄せているのではないということだ。
  無意識レベルの引き寄せがあるということだ。」

    (後出「宇宙スイッチ」より引用)

ビタリー博士の「宇宙スイッチ」(「宇宙スィッチ」ジョー・ヴィタレー[著] 住友 進[訳]  サンマーク出版)には、

無意識の指図をテーマにした記述がある。引き続き、学び得たことを記述してみたい。

無意識レベルの引き寄せについて、取り上げる前に、
まず「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)には、顕在意識に働きについて、次の記述がある。

「『外なる心』が世界を見ており、争い、競争、障害、不可能というような状況を報告します。」
(前出「マスターの教え」p82より引用)

報告する相手とは、潜在意識を意味する『内なる心』に対してだ。
その『内なる心』は、

   「その本質として『内なる心』こそには、自ら判断して良し悪しを決める機能は
    ありません。」
    (前出「マスターの教え」p74より引用)

とも言う。
創造的で、しかも巨大なデータバンクの『内なる心』は、物理的現実で起きている総じてネガティブな状況をすべてからく保存していると言われる。もちろん、歓迎すべき心地よい出来事も、当然、保存されている。
そのことは、自ずから、『内なる心』の基本的な傾向を必然的に大きく左右している。

私たちの過去の体験が、ネガティブな状態・状況に傾いているとすれば、私たちの表面に現れる心の傾向も、その反映をもたらす。

予断だが。私の家が恐ろしく貧しかったころのある記憶で、幼児期の意味不明な記憶を思い出したので、ちょっと、書いてみたいと思う。
私が生まれた頃、私たち家族がとりあえず住んでいたのが。
母よく口にしていたのは、うなぎの寝床と称していた。                         
母の当時、連れ合いだった方のある知人宅の縁側に設えた掘っ立て小屋だった。後にそれが、小さな物置だったということを、知ったのは、ずっと、後年になった20代前半の頃で、その頃を振り返ってみたく懐かしく思って、その場所を尋ねてみた時に知った。

住んでいる住人も、その場所全体も、すべての様子が、一変していた。そこを構成する町内の環境や様子、風情に少しばかりの面影はあったものの。変わり果てていた。

当時は、雨が降れば、雨漏りしていた。その雨漏りを洗面器や底の焦げ付いた鍋のようなもので、それを受けていたことをいまでも記憶している。
…このときの話をしようと思ったのではないが、ふと蘇ってしまったのだ。

話を元に戻そう。

私が、いまでもなぜか鮮烈に記憶しているのは、ある時、夜中に目覚めた時のことだ。
母たちは寝ている。私だけが、目が覚め、寝入る母の傍らで、暗闇を見回していた。

そこで、私はあるものをずっと、凝視した。大人の背丈くらいある白い布を被せたものだ。
それは、動かない。ただ、ずっと、そこにある。後に、そのことを思い出して、
それは、幽霊かと思ったが、そうではないのだろうとなぜか思っている。

もう記憶の彼方の果てのこと。
幼児だったこともあり、それが何かは、分からない。
目を閉じるが、暫くして見ると、再び、同じものを見た。
怖いという感情は、なかったように思うが。

「何だろう?」と、幼児ながら、ずっと思った。

もし、その記憶に対して、評価が、怖いというネガティブな側面に働けば、
必要以上に、私は、今よりずっと、怖がりになっていたのかもしれない。
似たような、そうした体験が多ければ、多いほど、心の傾向は、必然的に体験の度合いとその色合いを帯びるのだろうと思う。

無意識(潜在意識)の記憶とは、そういうものの積み重ねも含むのだと思う。

という意味で、無意識(潜在意識)の莫大なデータバンクには、意識レベルでは、思い出せない膨大な量の記憶が眠っており、無意識に影響を与えているのだと思う。

冒頭に記述した「無意識レベルが引き寄せる」というな賢人からの示唆があれば、その言葉に私が、敏感に反応するのは、それ以外にも、無意識に様々な記憶を体積してきた私の事情と背景があるようだ。

私は、今回のブログを書く前に、なぜか。故アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」という旧ソ連映画を思い出していた。その映画は、
近未来の話で、惑星ソラリスを探査していた宇宙ステーション内で、原因不明の荒廃が起きていたことを調査するために主人公が、その使命を帯びて、調査に向かう話だった。

この映画の要点をまとめるというレベルではないが、簡単に言えば、
ソラリスという惑星が、単なる物質的惑星でなく、知的活動をする生命体として存在する星だったのだ。惑星ソラリスが、ステーション内のスタッフとコンタクトをとる手段として、船内スタッフの潜在意識下を容赦なく具象化するというモチーフが使われている。

映画は懊悩に満ちたどちらかと言えば、ネガティブで叙情的な映画だ。

その映画のことをなぜ思い出していたかと言えば、心が現実化するという意味において、示唆に富んだ内容だったからだ。

その映画が投げかけているのテーマは、今もって新しいと思う。心の現実化と向き合うなら、無視できない映画のひとつだと思う。

映画に関連して言えば、ネガティブで叙情的な映画だと書いたが、この映画のように、無意識は、私たちの物理的な現実に、そのタイミングは分からないが、ふと影を落とすことがあるのではないかと思っている。

冒頭のビタリー博士の本に戻るが、
次の記述がある。

 「ほとんどの人が無意識に指図され、惰性で生きています。しかし、
  このような状況は、自分が人生を創り出している張本人だとは
  気づいていないからにすぎません。」

     (前出「宇宙スイッチ」p101より引用)

このメッセージが示唆する先には、
私たちが、意識を鮮明にすることなく、つまり確たる目標もなく、現状に流されながら生きていく場合には、私たちが積み上げてきた無意識の傾向に人生を方向づけられるように振り回され、挙句、惰性を強いられるかもしれないことを示唆していると言えるだろう。



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