夢見心地☆自滅的なプログラム ★19#0130

フィリピン-ピリピン

私たちの思いをすべからくPCプログラムのように、
置き換え、見立ててしまうことには、それなりにやや問題があるかもしれない。

なぜなら、
人間にはPCにはない側面の感情もあり、スピリチュアル性もあり、様々なことが、
思いの判断の中に、複雑に入り混じり絡むからだ。
すべてが文字通り、全てが何らかのカタチで影響し合ってもいると思えるからだ。

だが、一方で、
思考の仕方の論理の仕方の側面として、一定程度のPCプログラムのような、

「こうだから、こうなる的な」類似性は、あるように思えてならない。

といって厳密性が求められるようなことを、
私はこれ以上にあえて論じるつもりはないので、ご了承願いたい。
その意味で、与太話レベルと受け止めてもらっても、全く差し支えない。

ただ少なからず私は、
思考や思いの手順というものにちょっとしたPCプログラムのような類似性があることを
感じており、その程度のレベルで以下を述べている。
茶を濁す程度のことだ。
そんな見方もあるかなというあたりで述べている。

「マジック・ストーリー」(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ[著] 野津智子[訳] ソフトバンクパブリッシング株式会社)の本の中に、
私は、依然から興味を持っていた箇所がある。

今日は、それを取り上げたい。
この本は、物語仕立てで、成功法則についての教訓が書かれている。
成功のための6つの教訓が述べられているが、
その第5番目が、本日のブログテーマに関連している。

その教訓とは、

   「自分で自分の心に植えつけた
    有害で自滅的な考えや思い込みは捨てること」

(「マジック・ストーリー」フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ[著]
           野津智子[訳] ソフトバンクパブリッシング株式会社)

というものだ。
これは、前述した見方からすれば、
心の働きをネガティブに貶める、自滅PCアプリ的な概念というふうに
捉えられないだろうか。

私の例で申し訳ないが、小学校高学年(5-6年ぐらい)の頃のこと。
事情があって、私は母の年齢の比較的高い時に生まれた子どもだった。
実の兄とも、ひと回りの年齢差があった。

当時、私の家は貧乏の末、やっと2部屋あるアパートに引越しができることになったが、
私は、学校が変わるのが嫌で、遠距離通学を押し通した。

私としては、結果、それなりの距離を越境通学することになった。
といっても1時間ほどだったが。私なりに楽しんでもいた。

しかし、精神的に脆かった母は違っていた。

私の通学を必要以上に案じて、鬱のノイローゼ状態になってしまったことがある。
私自身は、越境通学に何ら問題は感じていなかったが、
母は、ひたすら私への心配と不安の中にいた。

ともかく私のことが、心配で心配でならなかったらしい。
と同時に、羽田空港に近い臨海工場地帯のその地域性にも、母を鬱にする要素が過分にあって、
この町の雰囲気が下町育ちの母には、まったく馴染めなかったというのも大きかった。

結局、一ヶ月ほどで、私は、もと住んでいた品川地域の小学校の傍に、
引越して戻ってきた。今度は、小学校が目と鼻の先だ。およそ200mもない近接した場所に戻った。

六畳一間の安アパートだ。結婚を控えていた兄は、嫁さんへの実家への見栄もあり、外見だけでも取り繕いたかった兄からすれば、みすぼらしい私たちが安アパート住まいをしていることに我慢がならなかった。あからさまに怒っていたようだ。

一時期、わがままな私を憎く思っていたかもしれない。実際、私は、兄弟という感情を持ったことがなかった。
私自身は、まるで一人っ子のようで。

それでも、
母の病状は、その後すっかり良くなった。鬱状態の時は、顔に表情が全くなかった。
私は、母を苦しめてしまい気の毒なことをしたと思っている。
その母は、死期の近づいた晩年、観音様のような表情に変わっていたのをいま思い出す。

当時の母のことを思うとき、やはり母は、自ら自滅的な思考を、
毎日、繰り返していたのだろうと推測される。
ネガティブな思いを、私に対する心配という形で、そして、居住地域の灰色一色のようなさみしい環境、工場地帯というような要素とともに、悲観的な思いに糊塗していたのだろう。

全てが、母の思考の中では、決して建設的ではない、前向きではない思考の要素をだけを生み出し続け、一直線に現状否定的な要素ばかりを再生産していたに違いない。
ただひたすら不安にさいなまれ、苦しんでいたに違いない。当然、私たち家族全体も暗くなった。

母の思いや、その母と共にしていた私たちも、皆、ネガティブな要素ばかりを変数値の対象として作用するプログラムの毒に犯されていたのだと、かつてを振り返っている。

ここに、私が「自滅的なプログラム」と言いたい意味が、何となくでも、ご理解いただけるだろうと思う。

ネガティブな考えや思いは、下方のどん底にどこまでも追いやる”らせん階段的”な進化をする。注意が必要だ。
それは、他方で、ポジティブな考えや思いは、上に伸びる”らせん階段的”な進化をするということでもある。私たちは、こちらにこそ注力すべきだ。

先にあげた「マジック・ストーリー」の第5番目の教訓には、
「有害で自滅的な考えや思い込みは捨てること」=「自滅的なプログラム」を、
自らの裡に創出しないことだとして戒めている。

成功法則の6つの教訓の中のひとつとして入れていることに、
とても意味性が深いのだなと思わされる。
私たちが陥りやすい落とし穴として示唆しているのだ。

さらに、この本には、6つの教訓とともに、
心に留めておくべきだとするちょっとした箇条書きもある。
その中のひとつに、

「有害で自滅的な考えや思い込みは捨てること」の対処の仕方を、教えてくれている。

引用しておこう。

   「昼も夜も、”プラスの私”と親しくなること。その助言に耳を傾けていれば、
    うまくいかなくなることはない。」

 (「マジック・ストーリー」(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ[著]
       野津智子[訳] ソフトバンクパブリッシング株式会社:p91より引用)
とある。

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