夢見心地☆最高の努力、最高の行動 ★20#0377

フィリピン-ピリピン

「今、ここ」とは、何かを考えてみた。
考える前提として、
私たちは、
「今、ここ」を意識しようが、しまいが、常に「今、ここ」に居るのだということ。

そして、その「今、ここ」というのは、
「今、ここ」の状態で、思い描くイメージや感情で、
私たちの進む方向が常に変わってしまうという重要なポジションでもあるようだ。

私は、「今、ここ」は潜在意識(潜在能力)に注文を出す、入口、窓口に立っている状態だと
述べた。その思いは、日々ますます強くしている。

だから、「今、ここ」の状態で、日頃の忌々しい問題や、
明日あるいは未来の「もし、できなかったどうしよう。」という恐れを伴う問題から、
すべてを全く切り離して、白紙の心の状態で、今を思うことができたらと、そこをよく考える。

つまり、その「今、ここ」で、私たちが望ましい状態をイメージし、
それを「今、ここ」の潜在意識の注文所の申込みの窓口で、
オーダーすれば、それは宇宙が私たちにその結果を投げ返してくれるその瞬間なのだという思いにいたる。

だが、焦ってはいけない。

私たちが目の前にしている物理的現実は、トランサーフィンのゼランド氏の指摘によれば、タールのような粘性を帯びており、その結果をすぐに返してくれないからだ。だから、

「あー、やっぱりダメか。ちっとも変わらない。良くならない。」と、あきらめ
ダメだったと思うことが、今度はそれが、注文になってしまう可能性がある。

せっかく注文済みの望む理想的な現実に対し、
リアリティが自分が想う通りにならないということへの不平・不満・疑念などの
ネガティブな思いで、物理的な現実(リアリティ)に向き合ってしまうと、
その先の注文を、自ら否定してしまうことになるからだ。

それは、もっと分かりやすい例で言おう。
年末の年越しそばの注文に例えてみよう。大晦日の蕎麦屋は、
注文が集中し忙しいということになっている。最近の裏事情は知らないが。
あえて、大晦日の蕎麦屋は忙しいというその前提で申し上げる。

どの家庭も大概、大晦日は、年末のTV番組に釘付けで、主婦以外は、旦那や子どもたちは、
寝転んでTVを見ている。ミカンの皮が、コタツの上で、この時とばかり自己主張している。

旦那は旦那で、
「毎年同じだな…」と、ブツブツとTV番組に不満に思いながら、
それでもしっかり刹那の埋め合わせをするようにTV番組に釘付けなのだ。

しかも、お笑いタレントの創られたヘマを笑ってさえいる。
主婦は主婦で、年始のおせち料理などをまだ作っていたりする。

煮物の間に、TVを見て、無理して笑顔を作る。
嫌な気分で、年を越したくないからだ。
きわめて自己本位な打算を含んだ笑顔を取り繕っている。
善良な人は、大なり小なり、同じような轍を踏むものだ。

私の母も生きていた時には、
主婦として年末の家事に生きがいを見出していたようなところがある。
自らの自己重要性を感じる唯一の時であるかのように、
身体に染み付いた伝統的な習いに忠実だったのだ。

忙しそうにしながら、ゴロゴロしている私に、
「掃除ができない」と時に文句も言いつつ、
それでもある意味生き生きとしており楽しそうだった。

この日は、様々な家庭の事情を背景に、蕎麦屋には、出前の注文が集まる。
蕎麦屋にしてみれば、対応に追われ、てんやわんやだ。
「何が大晦日だよ!」と、若い店員が、ブツブツ口ごもる。

「普段、注文なんかしもしないくせに、こんな時ばかりだ…」と、酒で鼻を赤くした店主が、
イライラ混じりに文句を言う。厨房での声も、荒々しくなる。

一方で、蕎麦屋に注文を出した一般家庭では、注文を出して、すでに30分は過ぎ、まもなく一時間近くにもなろうとするのに、未だ、天蕎麦が来ない。
「おい、どうなってんだ?蕎麦屋め」と、イラっとする。

電話で、蕎麦屋に出前が来ないことを、一応冷静に、不満を告げる。
蕎麦屋は、蕎麦屋で、「今、出ました!」と常套句で、返す。

そう言われたら、返す言葉がないので、「じゃ、早く頼むよ、モォ~!」と、言って、
ぎりぎり我慢する。再び、30分以上が過ぎ、2度目の電話をしようとするその間際。
「まいどー」
「あ、来たぁー。遅いよー、で、いくら?」

という典型的なパターンが、
おそらく、似たりよったりの光景が、日本全国、数十万回か数百万回のパターンが繰り返される。
蕎麦屋は、ビジネスなので、注文したとおりに、遅かれ早かれ、蕎麦が伸びていようが、
伸びまいが、持ってくる。注文を断ろうとしても、断らせない。
「もう出ました!」と、客にそうそう、断れない状況を口実で、
先手を打つからだ。
それから、さらに1時間待とうが、そこは、蕎麦屋の賭けなのだ。
出たとこ勝負なのだ。

それに対し、我らが潜在意識は、あまりに素直で忠実なのだ。
しかも、見返りすら求めない。
決してビジネスライクで考えない。ただただ私たちの心の思いの状態のままを、
あまりにも忠実に返すのだ。

はっきり言えば、融通が利かない。
なので、潜在意識に注文を出した後で、
物理的な現実で、望ましい変化がなかなか見られないと感じたとき、
それに不平・不満・疑念を抱けば、それが新たな注文として受け止められてしまうのだ。

不満に思うその形を現実化してしまうのだ。
というのは、ネガティブな思いには、ネガティブな感情を伴ない、
望む姿の現実化と比較して「理性」と「魂」の一致を容易に得やすいからなのだと、
ゼランド氏は、著作の中で指摘もしている。
つまり私たちが、イラ立ちまぎれに、目の前にの現実を不満に思う感情に、
却って、悩まされるという構造にハマってしまうのだ。

ジェフ・ケラー氏は、「夢をつかむ方法」(ジェフ・ケラー[著] 弓場 隆[訳] Discover)の《考えるだけでなく、行動を起こす》の項目の中で、次のように言っている。

  「大成功をおさめたいなら、自分の人生に起こってほしくないことでなく、
   起こってほしいことを考える訓練が不可欠です。」 

と述べている。私は、この言葉の意味をトランサーフィン的に受け入れたい。
そのもっともトランサーフィン的な考え方というのは、望むましい状態を受け入れる
スライド(イメージング)の再生を実行することにある。
「今、ここ」の状態にあれば、そのスライドは、極めて実行されやすくなるのだと、
私は、解釈している。

その意味で、スライドによる「起こってほしいことを考える訓練」こそは、
内的意図の力に過剰に頼らない作用(= 外的意図の力)を働かせるために
私たちができる、唯一、最高の努力、最高の行動なのではないかと思っている。



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★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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