私たちは、この世界に生を受けた瞬間から、
自身の五感を通して物質化された現実と向き合い成長しながら
そのリアリティを日々体験している。
通常なら、物理的な現実のあまりにリアルな状況・状態について、
私たち自身の「意識」によって巧みに創出された幻想である
という疑念を抱くことは、まず難しい。
たとえ、それがいま信じるに足らなくても、
私たちの物理的現実は、なおも幻想であると申し述べておきたい。
なぜなら、「私たち」あるいは「私」は、突き詰めれば「意識」だからだ。
この物理的現実・世界は、私たちの「意識」の産物だといえる。
このことは、過去の先人達が、すでに気づいており、
後に続く私たちのために示唆を残している。
あなたが経験するものは、現実化し、
目に見える形になった心の中のイメージです。
いまからおよそ90年以上前の1929年に出版された
「マスターの教え」
(ジョン・マクドナルド【著】 山川紘矢+亜希子【訳】 飛鳥新社)
には、鋭い深い示唆がある。
「五感を通してあなたが経験するものは、現実化し、
目に見える形になった心の中のイメージです。」
(前出:「マスターの教え」p69より引用)
このメッセージは、実にシンプルながら、それでいて多くの示唆を含んでいる。
この「マスターの教え」は、
私たちの人生を、望む現実により正しく導くための成功法則本として
真価を問う歴史の厳しい試練を経て今日まで、
私たちの道しるべとなってくれている。
上述の「五感を通してあなたが経験するものは、現実化し、
目に見える形になった心の中のイメージです。」という言葉には、
重要な文言がある。それが、締めくくりの「心の中のイメージです。」
とあるところだ。
「五感を通して」受け取った物理的現実の認識は、
「心の中のイメージです」と、さらりと述べているが。
別言すると、私たちの「意識による」認識がなければ、
世界は存在しないということを述べたのと同義だ。
「意識」があって、初めてこの世界を認識できる。
もし認識ができなければ、それは”何も無い”ということと
同義なのだ。その意味において、物理的現実は、幻想だとも言える。
この「五感を通してあなたが経験するものは、現実化し、
目に見える形になった心の中のイメージです。」
というメッセージを裏返しに反転させると、
次のような置き換えができる。
「心の中に、あるものごとや、状態、状況などをはっきりとした形で
イメージし、意識することは、それ自体がすでに現実なのです。」
(前出:「マスターの教え」p69より引用)
以上の二つのメッセージから
私たちの目の前の物理的現実は、
私たちの意識の鏡のような反映であることが分かる。
つまり、
私たちが日々いつも何気なく見ている物理的現実というものは、
私たちの「意識レベル」においては、私たちの内側からも、
またはその反映の外側の世界からも、相互に多大な影響を与えたり
受けたりしていることを意味する。
この世界が、私たちの「心の投影」だと認識し同意できるなら、
それは、成功法則というものを考える上で、
きわめて好都合なことだと思えないだろうか。
どういうことことか。
私たちにとって、通常、物理的現実は、望まないことが多く起こりやすい。
それは、多くの場合、
私たちの意識レベルがネガティブに設定されているからで、
それを反映を体験しているからで。
私たちの意識レベルを、意図的に上々に押し上げ、
心の中を望む現実にイメージングできれば、
物理的現実は、変更可能であることを意味している。
なぜなら、この物理的現実は、
五感を通して見た世界が、どれほどリアルに再生されていても、
私たちの意識レベルに依存もしているからだ。
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