無意識な思考を知らずに繰り返しているうちに、どうやら私たちは、
ネガティブな状態に陥りやすいようだ。
理由は、簡単だ。
私たちが、自ら制限を課したこの物理的現実に身を置いていることによるものだ。
その当然の帰結として、
過去の躓きや不満、いらだち、後悔、罪悪感、今なお思うに任せなかった結果など。
「今、ここ」ではなく、
さらに、
未来についても同様で、そう遠くない少し先のことについても、
あれこれと自信なく思い悩み、また
さまざまな不足にも苦しみ、疑念や不安を覚えたりする。
過去において経験した、
制限の多い物理次元で得た事柄によって、
良いことよりも、むしろ悪い結果に終わった出来事などに足を引っ張られ、
まだ物事が起きてもいないうちに、
望まない結果への予想や憶測の懸念が先に立つ。
そうした心の動きは、
私たちが、固より、あえてその世界に踏み込んでいるのだから、
それは当然のことなのだ。
そして、自ら創り出した制限でいっぱいのがんじがらめな思考は、
必然的に、これでもかとネガティブな思考の撹拌を行う。
思考がエネルギーであることについては、
このブログを訪れていただいている方たちの大半に異論はなかろう。
同様に、
物質の究極の姿が、意識エネルギーであることを、受け入れてもいるだろう。
とするなら、
思考のネガティブな撹拌が、私たちの物理的現実にどう反映するか、
それも、あえて言うまでもないことだ。
それについては、
トランサーフィンから以下を引用しておきたい。
「思考はエネルギーを放射する。ものごとが物質化した世界では、
あらゆるものにエネルギーの裏付けがある。目に見えないところで起こって
いることもすべて、目に見える世界に反映される。」
(「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店 p147より)
それが分りながら私たちは、日々の思考において、
ついネガティブな思考による撹拌をおこなってしまう。
この無意識に繰り返される思考へのネガティブな撹拌の元は、
どこからやってくるのだろうか。
パラレルな世界の交差の断片が、今いるこの現実に、
大なり小なりの影響をもたらしているらしいということに何となく想像がつく。
この思考のネガティブな撹拌を止めるには、以下の方法が有効だ。
それは、
無意識に流されるままの夢見の状態から、いち早く目覚めるということに尽きる。
言い方を変えると、意識して見る夢見の状態へ切り替えるということだ。
つまり、望む現実の姿を思考によって、
意図して思い描き、自分の人生の現実化を図るということだ。