DVDレンタルで「バタフライ・エフェクト」を借り受けた。
ほぼ3週間待たされた。数年前に上映された映画で、借りるために3週間も待たされたことに、かなり疑念を持った。このDVDがいま特に注目されているとは思えず、おそらく借りた前任者が、独占的にいつまでも手元に置いていたとしか思えない。
それが、いま私がどうしても見たい理由の衝動を駆り立てる一方で、また理由のない不安も引き起こさせられた。DVDが傷だらけになっているのではないだろうかというような…。やっと手にしたとき、その不安が一層、強くなり、カウンターの従業員に入念なチェックをしてもらった。「何かあったら、お伝えください。」といわれ、いざ、再生してみると、ほぼ無傷であった。ホッとした。
この映画のイントロに次のような文言があった。
It has been said that something as
small as the flutter of butterfly’s
wing can ultimately cause a typhoon
halfway around the world.
-Chaos theory
小さな蝶の羽ばたきが
地球の裏側で台風を起こすこともある。
私が、このDVDを見たいと思った理由は、この文言に引き寄せられたのだ。
どこかのブログかホームページで、”バタフライ・エフェクト”という言葉を読み抜いたのだ。
「エフェクト(効果)…?…」と、心の中で、そう思った。
ウィキペデイアによれば、
バタフライ効果
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E5%8A%B9%E6%9E%9C
バタフライ効果(バタフライこうか、butterfly effect)とは、カオス力学系において、通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指す。カオス理論を端的に表現した思考実験のひとつ、あるいは比喩である。
と説明がある。
この説明にあるように、
思考実験のひとつ。
あるいは比喩である。
としている。
しかし、案外、考え方としては、まったく無視もできないのだろうとふと個人的にはそう思う。
現実には、無限と言っていいほどの様々な要素が、相互に力を増幅したり打ち消し合うものもあるのだろうし、また絶対条件が整った上でエネルギー保存の法則を前提としても、蝶の羽ばたきなどが、そのまま積み重なったところで、台風がというのは、かなり無理、無理、無理のある話かもしれない。
もっとも私は、物理学者でもなんでもないので、このことは、科学的根拠に根ざしての意見ではない。まったく無視してもらって結構だ。
ただ、こんなカオス理論の考え方があって…、そして、
私は、私の個人的な事情で、
この映画のChaos theoryの言葉に惹かれたというだけだ。
つまり、ちょっとしたあるものの影響力というものを考えた場合には、この比喩は、興味深いものがある。と、そう思うのだ。
私は、このDVDを借り受けるのに、3週間以上待たされたと上に書いた。その時の、私の心の動きも、不安にさいなまれたこと、やはり、蝶の羽ばたきの”効果”を考えざるを得なかった。
「なぜ、いまこの時期に…。このDVDが今さら…何で?」と思い。
店員に尋ねた。
「一度返しに来ているが、すぐにまた借りたと言う履歴になっています。」と。
その意に返していない返事によって、
却って私の気持ちは、一層、揺らいだ。
前述していないが、実は、このDVDの事前調べで、内容についても、私なりに意味があったからだ。
あらすじによれば、
「彼女のために何度でも、過去を書き換える」という「神にも許されない行為」とした触れ込みが、この映画の不思議な魅力と怪しさで興味が増した。
レンタルできない不安と焦りとともに私はやや動揺もしていた。
このDVDは、評判どおり、良かった。レベルの高い内容だった。
映像制作出身という私が、一番感じたのは、
この撮影は、大変だったろうと思ったことだ。
撮影には、「つながり」という考えが、基本中の基本としてあるからだ。
”つながり”とは、シーンとシーンの整合性のことだ。劇映画などの撮影は、必ずしも、順番で撮影しているわけではないので、予算や天候、時間などの様々な効率や合理的な兼ね合いで、順番は、ランダムに撮影されることが非常に多い。
分かりやすい例で言えば、複数掛け持ちの俳優は、髪型ひとつ、撮影時から変。
同じ時刻の背景やあるいは部屋の中のシーンで、カット(アップやフルショット。パストショットなどのカット割り)が変わるたび、あるいは台詞が変わった時に、髪型が変わっていたら、誰が見ても、同じシーンに見えない。
例えば、ある主役が、
7・3分けにしていたのに、急に角刈りになって、再び、7・3分けの髪型になっていたら、
それだけで笑えてしまう。
登場人物もそうだ。突然に、誰かがいなくなって、別人がいたら、
話のつじつまが合わない。
シリアスなものだったら、とんでもなくまずい。説得力がなくなる。
その意味で、”つながり”というのは、非常に撮影する側にとっては、一番、
重要な意味がある。
この映画では、過去がグシャグシャに現れてくるので、シーンの展開が混乱しやすい。
そこが、ある意味(時空間の乗り換えと言う意味で)別の意図を狙うという意味もあるかもしれないが。私は、見ていて、わかりずらかった。
それは、それで良いのだ。
しかし、制作者は、そうは行かない。嘘っぽくなってはいけないので、映画がどう見るものを混乱させても、それが狙いであればこそ、映画のロジックとしての整合性は、どこまでも追及して制作されるものだからだ。だから、大変だったろうと。すでに撮影済みのシーンの写真などをチェックし、ミスがないか、その苦労が、実体験の中から、肌で感じてしまうのだ。
話がつい余談になってしまったが。元に戻そう。
この映画の簡単なあらすじは、
記憶が途切れるという特殊な体質の主人公の青年が子供時代に好きだった彼女を死なせてしまったことの後悔を、自分が過去に戻れるという能力に目覚めて、過去の書き換えを行う設定だ。
しかし、何度、書換えを行っても、自分の友人たち誰かが不幸になるという展開に苦しみ、彼は、ある決断をする。
それは、映画を観て確認してほしい。
この過去の書き換えというのは、SFやサスペンス系には、多い手法の一つだ。
だが、私たちは、そうした映画にどこか惹かれるのだ。潜在的に、今置かれている現実との対比で望んでいるものがあるからだろう。
私は、こうしたことが、映画やTVなどの娯楽による絵空ごととして受け止めてはいない。
それは、バシャールのメッセージと出合ってから、それを確信するようになった。
バシャールのような多次元世界からのスピリチュアルなメッセージを信じない人たちも、当然、多数いるだろうから、その圧倒的多数のごく少数のこちら側にいて、それでもバシャールのメッセージの側にいることをあえて私は選択している。
それには、私なりの説明の付かない根拠らしきものがあるからだ。
多くの方たちは、私たちが感じている現実について、
過去、現在、未来へと一直線に続くものとして考えているはずだ。
だが、私は違うと思っている。瞬間、瞬間の選択で、ラインは、常に変わっている。
そういう受け止め方をいている。
なぜなら、
私たちは誰しも、
「あの時、あの選択をしなければ、どうなっていただろう。
違う結果の自分が居たはずだ」などと。思い返すことがあると思っている。
今と過去を対比して、
過ぎた時間の経過を振り返ることがあるのでと思う。
それは、なぜだろうと私なりに思うのだ。
今、ここにいる自分と違う自分の在り方をふと対比しているということは、
心の深い部分で、実は直感している”何かがある”からなのではいかと思えてならない。
私の場合は、バシャールの言う、パラレル・リアリティやタイムラインというものを、
どうしても意識せざるを得ないと思っている。
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