私は、ある朝。3時過ぎから5時近くまで、眠れない時間を過ごした。
理由は、ストレスなどによるものではない。
単にYouTubeの動画を見ながら、
椅子の上で寝入ってしまって、一定の睡眠をとっていたことが原因だった。
気づくと2時過ぎだった。
そこで、再びネットを検索して、結果、3時過ぎに、床についたが。
改めて寝ようと思ったが、寝返りを繰り返すだけでもう眠れない。
すでに半睡の状態が、その後のネット検索ですっかり意識が目覚めてしまっていたので、
眠ることができなくなってしまった。
しかし、一方で私は、眠ることができなくなったことで、
”あることを思い出した”というより気づいた。
この状態は、潜在意識とのコンタクトをとるために、
もっとも効果的ななタイミングなのではないかだろうかという確信だ。
”あることを思い出した”というは、このブログで、多少触れているが、
20代半ばに、突如、右足首付近に激痛が走った。それは思いのほか、
重篤のもので、そのことが、実は…。私の望むようなカタチに人生を転換してくれた。
断言してもいい。さらに世界観を大きく変えてくれたものになった。
もちろん、それは振りかえっていまそう思うだけで、その時は、必死だった。
母は、半ノイローゼ気味になってしまった。
詳細を、きちんと述べたい気持ちはあるが、あえて言わないこととさせていただいている。
勿体をつけているのではなく、あまりにネガティブで、そのことを思い出し、
振り返ることが、決してよくないと思うからだ。
過去の暗い記憶にフォーカスしたくないからだ。
過去の振り返りのギリギリなところで、このブログを書いている。
その入院は、半年続いた。
その病院のベッドの上で、私は、眠れない日が続いた。
それは、術後、身体が回復しだすと、頻繁に続くようになった。
そして精神的には、とても苦しかった。
6人の大部屋で、他の入院患者の寝息と濃い紫色の暗闇の中で、
私は、じっと息を潜めカーテンで閉じられた窓を眺めたものだった。
それは、いつも3時~5時ごろのようだった。
カーテンが、薄っすら白みかけてくるのを、何度か体験していたからだ。
その暗闇の中で、私はよく思い返していたことがある。それは、入院前のことだが、
街中を散歩するのが好きで、自宅から、3時間前後の距離を商店街を中心によく歩いたことだった。商店街の喧騒と華やかさが、特に好きだったからだ。
まだ通り抜けたことのない路地を歩くのも好きだった。
だが、散歩していたころは、大学を中退し、惰性に流され、希望とまるで違う飲食業界にいて、失望感もあった。なぜなら大学入学当時は、希望は演劇科だった。その立ち位置の落差によるものだ。
私の希望は、映像関係だった。映像世界の監督になりたかった。
大学で文学部を辞め、いよいよ道が閉ざされ、散歩しながら満たされない気持ちと、
不安でいっぱいだった。
その不満と不安で、宛もなく散歩していたが、それが、どれほど幸せなことだったのだろうかと、思い返していたのだった。
その病院のベッドの上で、何度も何度も、それはとても楽しかったんだな…と、とても懐かしんだ。
院長から受けた話や今後の検査など、あるいはその判断など、
先行きの恐ろしく暗くするネガティブな未来予測は、一切、考えずに、
その散歩していたときの楽しかった気分を、眠れない未明に楽しんでいた。
私の気づきとは、これなのだ。
私は、確信している。これが、私を救ったのだと。
私の回復に一番驚いていたのは、院長だった。
なぜか、私は、半年も入院した。とても元気なのに。だが検査が怖かった。
この病院を退院する寸前に、飲食業界から映像世界へ引き戻してくれる動機を与えてくれた有名広告代理店Hの制作担当者と出合った。
その話は、あまり重要でないので、今は省略させていただく。ただ、動機と言ったが、直接、どこかへ紹介されたわけではない。ありがたいことに努力はしていただいたが。年齢的なことや、運転免許もなく、相手側が受け入れてくれなかった。こんな業界があるということを知らされただけだった。自力で何とかするしかなかった。
この病院での出来事をもう一つ話しておきたい。
その病院の傍には、近代的なデザインの教会があった。JRの線路を挟んで、
向こう側の丘陵にコンクリートの建物と十字架が見えた。
私は、宗教的な信仰を持っていないので、こんなことを言うのはおかしいが、
ある思いを述べておきたい。
人間は、究極の場面では、”祈り”が必要になるということだ。
その病院の5階にあった屋上に、私は、何度も昇った。ここから、教会の十字架が手に取るように見えたのだ。80メートルくらいのところに。私は、ドストエフスキー作品が好きだった。特に「死の家の記録」というドストエフスキーの実体験が語られているという作品の影響もあり、十字架に対して、信仰はないが拒否反応はなかった。
だけに私は、敬虔な気持ちで、私の置かれている立場に対して、率直に祈った。
私は、そのとき以来”祈り”について、よく考えることがある。
私たちは、通常、威勢のよい元気な時は、目に見えない力を軽視している。
しかし、ちょっとした緊張を生む場面で、特別な力を持たない私たちのほとんどは、
ご都合主義的に、目に見えない力をどこかで宛にしてきている。というのは、
”祈り”には、一定程度か、あるいはそれ以上の力を発揮するということを
本能的に知っているからだと思う。
だからどうしていいか、わからない状況で”祈り”と向き合うことがあると思っている。
あとは、「神頼みしかない」と。
私は、その朝の未明、眠れない時間を楽しんだ。
この混沌とした時間こそが、潜在意識に、望みたいものを植え付けていく上で、
意識の邪魔を極力低くし、現実化を妨げる違和感をぼかすことができるように思うと感じた。
望む願望実現への近道ではないかと、自分自身の命を救ったリアルな体験を通して強く確信している。
眠れない時間は、案外、不思議なもので、意識は、覚醒しているように思っているが、
案外、その意識の覚醒は、瞬間瞬間である場合の方が多いのではと、感じている。
というのも、自分では寝ていないつもりだが、時間を見ると、思っている以上に進んでいる場合があるからだ。時間が、ところどころ飛んでいるということに気づくだろう。
眠れないときは、眠れないと焦っている場合が多いと思うが。
実は、眼を閉じているだけでも、寝ていないと思っていても、
ところどころ寝ている可能性があるのではと思う。
先ほど手にした「宇宙スィッチ」(ジョー・ヴィタレー[著] 住友進[訳] サンマーク出版)の中に、「意識を鮮明にする」という話に、私が、念入りに線を引いたマーカーもあったので、その部分を再読してみた。
ヴィタレー博士は、願望の現実化ために、望んでいる事、以外の余分な意識を持たないことを進めている。
「あなたのすべての部分、あなたが心に抱く考えにすべて矛盾がなければ、
問題なくあなたは富を引き寄せることができるでしょう。」
(前述「宇宙スィッチ」より引用)
とある。さらに、続けて、このことは言い方を変えると、
次のようになるという。
「しかし、どこか一部、すなわち考えの一部にでも、あなたの目標を後押ししようと
しない部分があれば、あなたは危険な状況に陥ったり、力を発揮できなくなって
しまうでしょう。」
(前述「宇宙スィッチ」より引用)
と述べる。
かつて私は、病院のベッドで、一方では、あまりにネガティブで深刻な現実を抱えていたが、それには、一切、フォーカスしないで、楽しかった散歩をする自分をありありと思い浮かべ想像していたことが、私の望むものの”意識を鮮明にしていた”ように思えてならない。
その鮮明になった意識を、最も伝えやすかった眠れない混沌とした半現(半うつつ)の中で、行ったことが良かったのでと思い返すことがある。
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