夢見心地☆もう一人の自分と出会う方法 ★20#0350

フィリピン-ピリピン

誰でも、一度ぐらい。自分に似た人が世の中に3人いるという話を聞いたことがあるだろう。
ドッペルゲンガー(ドイツ語)という現象だそうだ。
ウィキペディアの説明によると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
”「生きている人間の霊的な生き写し」を意味する。”とある。

私は、その話は、よく分からない。何よりも、「だから、それがどうなんだという」あたりが、
もう一つ釈然としないので。否定的に扱うということもないが、またあえて肯定的にという要素もあまり感じられない。いまそれについて論じる積極的な要素がないのだ。

というより、
私が、これから述べたいのは、「マジック・ストーリー」(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ著 野津 智子[訳] ソフトバンク・クリエイティブ)での話しで、
その中に出てくる”もう一人の私”の話だ。

こちらこそ、ある意味、霊的な要素を含んでおり、人生の示唆に大いに富んでいる。
深みもある。

「マジック・ストーリー」は、あくまでも、成功哲学を題材とした成功物語のフィクションだが、こちらには、取り上げる教訓があり、意義が深いと感じている。そこで、その内容を見ていきたい。

「マジック・ストーリー」は、大いなる成功を収めた主人公の「私」が、
いよいよ晩年の自身が、人生の締めくくりとして、成功哲学を述懐するという形をとっている。

不幸な生い立ちの少年時代。
青年時代のまるでそうなることが約束されたような幸運。
突然の挫折。
その後、運命に翻弄され続ける自滅的で、長く惨めな生活。

まったく光の見えない人生に、再び幸運をもたらすもう一人の自分との出会い。
という構成とストーリーだ。

100ページ程度の紙数で、実に、コンパクトにまとめられた成功物語と成功哲学の本だ。
分かりやすい文章。
教訓化された深みのある世界観。そして読む者を引き込む力に優れている。

この本に述べられている成功のための6つの教訓のうち
私は、6番目の”目覚め”について、読んだ後から、ずっと深い関心を持ち続けている。

6番目の教訓は、教訓化しにくいので、ストーリーから感じ取ってほしいという展開だ。
ここにこそ作者の強い思いが込められているように思う。

人生のどん底で、着るものどころかその日、食べる物さえ手に入らなくなった主人公が、
ある晩、夢の中で、その後、現実世界に出現するもう一人の自分と出会うのだ。

そのもう一人の自分とは、一度夢の中で姿を現してからは、
なぜか、ずっと常に自分のそばにいる。顔つきは、自分によく似ている。
だが、現在のみすぼらしい自分とは大きくかけ離れた姿をしている。

それは、かつて、
青年時代に突然訪れたまるで運命が仕掛けたような幸運により、
華やかな成功を送っていたときの自分の姿そのものだったのだ。

現在の自分が話しかけなければ、もう一人の自分からは、話しかけては来ないようだ。
この物語では、この華やかだったもう一人の自分を、”プラスの私”と位置づけ、現在の惨めなわたしを”マイナスの私”が宿ったものとしている。

そのもう一人の自分について、
物語の主人公は、こう述べている。

   「このもう一人の自分に出合ったことで、わたしはどういうわけか、
    自ら呼び込んでいた不幸から逃れ、どんなに求めていても友人からは、
    決して得られなかった救いを手に入れることになったのだった。」

      (前出「マジック・ストーリー」より引用)

”もう一人のわたし”に興味を抱いた
主人公の”わたし”は、不思議な”もう一人わたし”の行く先々へ、
後を追いかけていくようになる。

だが、”彼”は、かつての勢いのあるわたしならできたはずの、
いまは落ちぶれて、どうにも入る気のしない戸口の向こうに消える。
それについて、

   「”彼”はなぜ、わたしの足がすくんでしまうところへ、
    大胆さと自信を持って入っていけるのだろう。」

      (前出「マジック・ストーリー」より引用)

と感想を漏らし、

  その”彼”に、現在の”わたしは”
   「意図的に、昔びくびくしながら訪れていた場所や会っていた人たちのところへ
    連れていかれているような気がした。かつて仕事していた職場へ。
    あるいは、金銭的な取引のあった人たちのところへ。」
      (前出「マジック・ストーリー」より引用)

これらの引用したメッセージにこそ、偉大で、大いなる深い意味が隠されている。

つまり、自分がかつて恵まれていると感じた華やかな時のように、あるいは、私は選ばれた人間なのではないかと、勘違いするような幸運な出来事に出会っていた時のような、その時に行なっていたことを、あえて、積極的にやってみることだという意味だ。

人は、挫折すると消極的になるものだ。その消極さがますます自分を小さく見積もっていく。引き寄せてしまう。それが、さらに自分を自滅的で惨めなものにするという悪循環を産む。
そうしたときこそ、難しいことだが、前向きに、建設的にならなければいけないという意味を含んでいるようだ。

私は、このブログのタイトルに、もう一人の自分と出会う方法とあえて付けた。
今朝、気づいたのだ。

ささやかだが、ひらめいた。そして少しの間、実践してみた。
このブログのことがあったので、すぐにやめてしまったが。あーこれだと気づいた。
大げさと思われるかもしれないが、真理があると感じた。

もう一人の自分と会うその方法は、

かつて、自分が幸せだと思えた瞬間(ひと時)あるいはそう感じた瞬間をいま積極的に思い出してみることだ。
私は、それをして、わずか数分だったが、胸がやや熱くなるのを感じ、そして私の気持ちを暖かいものが包み込んだ。

なぜ、人間には、思い出があるのかにも気づいた。
潜在能力を引き出すために、うまく道具として活用するためだ。
一般的には、思い出には、良い思い出も悪い思い出もある。

それを決めるのは、自分自身だ。誰でもない。いや誰にもそれはできない。
ほんとは、悪い思い出などというものはないのだ。私たちの心がけ次第で決まるのだ。
つまり良い思い出に常にフォーカスしていれば、
良い思い出のイメージは、さらに良い思い出を現実化して引き寄せてくれるだろう…。


★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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