フィリピン・昔を思い出した数枚の写真 #19-0063

フィリピン-ピリピン

彼女とskypeで話すことは学費のことばかりになった

skypeで彼女と話をする。現在、3人の子どもたちのうち2人が、カレッジだ。彼女の住む田舎から、子どもたちのいるバギオまで、およそ2時間30程度だという。常夏のフィリピンでも、山間のバギオは、高地のため、かなり気温が低いらしい。全体に過ごしやすい地域だという。

バギオは、市全体で、富裕層も多く、犯罪も少ない。教育機関が多く学びのエリアでもある。勉強する環境としては、とてもよさそうだ。とはいえ、いつも彼女と話すときは、教育費の工面の問題がどうしても中心になる。

日本の私大などとはと違って、学費は非常に安いのだが。毎週のように、宿舎の費用と生活費、さらに学費、特に試験費用などで、毎週1-2万程度、月に4-5万程度が掛かる。特に長男は、詳しくは言えないが、医療費として、成人するまで薬の服用が必要で。その比較的高額な薬代金での負担に、これまでかなり悩まされて続けてきた。

あと1年か今少し、薬物治療が必要だということで、当面、悩ましい時期を過ごすことになる。
そんな中、長女は、成績が良く、しっかりしており、利発で、しかも美人ということで、今後に期待している。

私と彼女が、学費の工面で話をしていると、次男が、私に振り返って、「行ってきます!」といったらしい。昼休み、食事に帰ってくるのだ。食事を終えて、再び、学校へ行くという意味dふぁ。彼女の通訳を聞かないと、意味が分からない。

謎のスティックは、何?

次男は、日本でいえば、中3に相当する。12年生だという。来年は、ハイスクールだ。上の二人がいなくなって、どこか寂しそうでもある。私は、彼にskypeの画面に手を振ったが、通訳にタイムラグが生じているため、彼がこちらを見たときには、まだ意味が伝わっておらず、挨拶にこたえられなかったので、悪いことをしたなと思った。

再び、彼女とお金の工面の問題で、話をしていると、彼女が、「ウェーイ!」と、大きな声を出す。次男が、「じゃあ、行くね」というような声かけをして、タガログで、それに応えた感じだ。

そのあと、彼女は、私に何か、スティック状のものを見せた。
「ナンダカ ワカル?」と聞いてくる。
正直、分からなかった。「なあーに、それ…?」
「クチベニ ダヨ」という。「あー、なるほど!」と思った。

しかし、その口紅には、すでに使い切っており、スティックの根本の部分にわずかにピンクの色合いが残っていた。こんなものを使っていたのかと思った。
  
彼女が、私にそれを見せたのは、自分のものは、今、何も買えていないという意味だった。私は、彼女に、女として向こうを張れるようなものを、何ひとつ買ってやれないことを哀れだなと思い「ごめんよ」といった。すると「マッチャン、ワルクナイ」と返してくる。

「明日、リップ買いな。問題ない」というと、あいまいな頷きをする。
というのも、長女が、カレッジの授業で、料理実習の時間で、材料費として、500ペソが必要なんだという。「いつ?」「ゲツヨウ ビ…」いつもの学費とは別に、その費用が必要ならしい。「そう…か」彼女は、また口紅をあきらめたという意味だった。

この2-3日、彼女から、私と出会ったのは、「何年か?」ということを尋ねてきていた。私が思い出せるのは、2005年に、彼女の現在の田舎に来たということだけだ。彼女が、いつから、日本で、仕事をしていたのかは、正確には分からない。

ただ、彼女は自分のことなので、2002年というのを、確認したがっている。
パスポートを無くしたので、再発行してもらうためだという。もう少し突っ込んだ本当の理由もあるのだが。そこは、いまは控えさせていただく。

とにかく正確に知りたいというのだ。

彼女と出会って、あと数年で20年か…

彼女と出会った店には、フィリピン女性のタレントの写真というのが、入り口付近にあった。店には、常時十数人程度の女性がいて、ポラロイドで、俄かに撮った写真が、紹介用として、貼り出されていた。そこに映っていた彼女は、まだ20代半の頃だった。

以前、私は、この店のホームページから、彼女の写真をダウンロードしていた。すでに、その店はない。その写真のことを彼女が覚えていて、日にちが書いてあるはずだという。だが、実際は、彼女を撮ったポラロイドはホームぺージ用にスキャニングしたものだし、そのデータ化されたファイルのプロパティで作成日を確認するしかない。

どうやら、彼女は私が実物のポラロイドの写真を持っていると勘違いしていたらしい。そこの裏面に撮影日か何かが書いてあったのだろうけれど、私が、持っていたデータは、あくまでも画像データで、ホームぺージから、画像データをダウロードしたものに過ぎない。だから、撮影日までは分からない。

としても、写真のデータファイルは、2002年6月とあった。実際は、もう少し前に撮影されたものだ。私は、その通りを告げた。そこで、初めて納得したようだ。完全に理解はしていないかもしれないが、実物のポラロイドの写真を持っていたわけでないことだけは理解したようだ。

私は、数台あるPCの中から、かろうじて起動するPCから、検索で、データを探した。
その中から、彼女と出会った頃の、画像データを数枚見つけることができた。いずれも、2002年6月、8月のものだった。赤いドレスを着た彼女は若々しく、きれいだった。懐かしくもあった。私自身も”ショーもなく”若い。鼻を赤くし、おどけた顔している。

まさか、彼女とこんなに長く付き合いが続くとは思ってもいない頃だ。その後の行く末など、微塵も考えていなかった。あと数年で、出会って20年になる。あっという間の月日だ。
山あり、谷ありというが、このほぼ20年は、ほぼどん底まで落ちるための年月になってしまった。

運命は、予定調和のバランスでできている

とはいえ、決してあきらめたわけじゃない。落ちるところまで落ちた後は、ただひたすら登るだけだ。私には、その資格がある。今度は驚くほど急上昇するだろう。それが自然のバランスというものだ。私は、頑張らない。頑張る必要がない。運命上の成功というのは、頑張るものじゃないからだ。不運の波の後は、幸運の波が怒涛のように押し寄せる。

それは努力によって掴むものではないことが、トランサーフィンによって分かってきた。
ただ豊かになる人生を選択するだけでいい。私のブログは、これから豊かさへと変わっていく私の姿を紹介していくだろう。

いばしばらく、艱難辛苦のどん底をなめて。ただ幸運の波が私を押し上げてくれるのを待てばいい。このブログの夢見コーナーは、成功法則についての気づきの片鱗を書いている。お愉しみあれ。

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