寂しさにカンパイ パサイにて
多分、それは2005年の12月の中旬のことだ。私が日本へ帰国する前の夜だったかもしれない。EDSAと呼ばれる国道沿いの安ホテルに、私たちは最後の夜を迎えつつあった。子どもたちは、まだ幼く、小学校前だった。ベッドで、キャッ、キャッとはしゃぎながら、飛び回っている。
私は、子どもたちが寝たら、「夜の街に出よう!」と彼女に誘った。するとひどく怒られた。「アナタ、ナニ、カンガエ トン。ヨル ハ アブナイ」私は、窓のカーテンを少し開けて、下を見た。ここPasayの街は、間もなくクリスマスの賑わいで、ざわついている。
いまこの大通りを見下ろすと、日本と違って、このEDSAの大通りは広いということに気付いた。車のライトがアスファルトをサーと照らし、行きかい過ぎる。ネオンの灯りが、私を誘ってくる。中央分離帯には、クリスマスを象徴する異国らしい電飾の明かりが美しく煌びやかな色合いを放っている。
笑ってしまうのは、フィリピンでは、9月になると、もうクリスマスの準備が始まるのだとか。
窓の下に見えるクリスマスのトワイライト
ホテルの窓越しに「あー、なんてキレイな夜なんだろう…」と思いつつも、彼女の言葉を聞いて、ふと、寂しさを感じた。「そうなんだ…。ここは危ないマニラ。」日本のように、治安が保証されていない街だったんだ。このころは、特にアブナイということが言われていた。仕方なく、私は、冷蔵庫の缶ビールを彼女と飲んだ。
「カンパイ!」それでも、私の衝動は、いつの日でもいい。いつか、彼女と二人で夜の街をデートしたいなと思った。「それはいつだろう…?」そう簡単に、フィリピンに来られるわけでもないし…。この私は、事業で躓いていた。一人会社を創設し、資本金もなく、営業力もなく、学習教材の通販事業だけを行っていた。
売上は、右肩上がりだったが、法人にするほどではなかった。笑われるレベルだった。個人事業者でも、まだまだ、これからでしょという数字だった。しかも学習教材のネット販売ということで、先の見通しも明るくない。フィリピンに来るときは、かなりカード負債で無理をしてきた。
人生のラインが変わる時
現実逃避と言ってもいいくらいの無計画な旅行だった。彼女の久しぶりの電話に「キテイイヨ」と呼ばれ、このチャンスを逃すべきではないと思ったのだ。人生の節目を感じたといってもいい。今何かが変わろうとしていると感じた。人生のラインをシフトする。その変わり目だと感じた。
そして、考えなしの無謀でも、一歩踏み出しこの国へ来た。思いのほか感動の連続だった。来たことはとてもよかった。後に書いていくが、何事にも代えがたい体験になった。ただ、これから日本へ帰ってからのことを考えると。「憂鬱…」いや考えたくなかった。だから、彼女と二人でどこかのバーへ行って飲みたいと思ったのだ。
しかし、彼女はリアルにモノを考えていた。それが先ほどの返事だ。
デートと言えば、私は、この一週間ほどフィリピン滞在をしたが。彼女と二人で、どこかへ行きデートするということが全くなかった。そもそも、治安については、どこも油断がならないのだ。常に幼い子どもたちがいるし、彼女も気の休まる時はない。気の抜けることがない。ここは、日本じゃない。アジアのひとつで、夜はデンジャラスな国だったのだ。
明日は日本
私は、彼女と夜の街を繰り出すのをあきらめた。彼女言うとおりだ。その危険なマニラの夜。その後14年も経ち、ドゥテルテ大統領に代わって、治安がかなり良くなってきたらしい。それがいい。ありがたい。
治安が良くなれば、この国は大いに発展する可能性秘めている。国民は仕事をさがしている。結構まじめな国民性なのだ。仕事がないため、リアルにあきらめている大人たちが多いだけだ。実際、マカティ市やケソンシティを歩いたときは、高層ビル群にびっくりした。日本より発展しているように感じた。その潜在力を見た気がした。
デザインされた街が、美しい。このリッチな空間にもあこがれた。矛盾するように、下町の子どもたちがほとんど全裸で、水浴びするような下層な人々の住む下町の風情にも、どこか懐かしさを感じた。そのどちらの世界にも、私自身をワクワクさせる何かが、このフィリピンにはあるのだ。キーワードは「何でもありの自由」だ。
「明日は、あー、日本だな…」来てみればあっという間の一週間だった。
すべては、夢見の中で起きていることだ。こうなるシナリオを潜在的に選択していたのだ。そう私は、明日からの日本での悪夢のような心労のつづく日々をどう生きるか。どうやり過ごすかを考えていた。所詮、考えても無駄だった。私の意識がネガティブになればなるほど、事態は悪く進むからだ。だとしても、ヤケッパチでも明るく考えることは難しかった。
☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ
フィリピンの治安はどうなの?
[su_note note_color=”#fffad9″ radius=”6″]2016年6月末にドゥテルテ大統領が就任して、治安は、大きく改善されつつある。だが、フィリピンは、宗教的にも複雑で、8割とも9割ともいわれるカトリック教徒が全体を占め、ミンダナオ島の南端には穏健なイスラム教の方たちがいる。一方で過激な武装組織が反政府的な活動をしているために政治的には、不安定な要素があることは周知のとおり。
またマニラなどの都市部では、犯罪の多発地帯とされているが、総じていうならドゥテルテ大統領が就任してから治安はかなり良くなっている。改善されつつある。ドゥテルテ大統領は、地元ダバオ市長としてどこよりも安全と言われるほどに治安を回復した実績を持つ方だ。いろいろ悪評を放つ人がいるが、いまフィリピンに必要なのは治安の回復。
そのためには、善悪のけじめをつけるという大ナタを振るう必要がある。多少荒っぽい政策が批難されるが、犯罪の多発を防ぐ、それを糺すことができるのは、ドゥテルテ大統領の正義感を信じるしかいないだろう。
フィリピンは、意外と休みが多い。彼女とSkypeで話をすると、「キョウ ハ ヤスミ」だという。「なんで?」と聞くとイスラムの宗教的な休日にあたるのだという。宗教的な違いを一方的に押し付けるのではなく、相手の宗教観にも合わせた対応がなされているのだと知って、なるほどなと思った。
こういう小さな積み重ねが、いつか相互理解の実りになっていくはずだ。 [/su_note]