【フィリピン訪問記】 フィリピンからの日本帰国 2007年版 #19-0032

帰国

Navotasの午前

ふぁっと目覚めて、朝に気付く。間に合わせで敷いたマットレスをみんなで畳む。6畳ほどの床面積に、子どもたちとみんなで寝た。こういう積み重ねが、心の絆を培うのだと感じた。Navotasでは、朝の歌声は聞こえないが、ご近所さんの生活音が聞こえる。ザワザワした感じと、忙しない急かすようなニュアンスがどこかに含まれる。

ドアの入り口外では、一層ご近所さんの声が聞こえる。もちろん何を言っているか分からない。時折、幼い子どもの訴えるような泣き声も聞こえる。世界どこでも一緒だなと思う反面。下町だなと思う。空気感がそうなのだ。女の子同士がおしゃべりしながら、狭い通路を横切るのも感じる。

とにかく「シャワー シナサイ」と彼女に促される。もちろん、水浴びだ。Tシャツを着たまま。適当にシャツの内側に手を入れ洗い、後で、ザブリ、ザブリと水を浴びる。この生活にも、どこかいとおしさを感じる。再び日本に戻るのだなと。

彼女が軽い食事を作ってくれた。卵とソーセージとご飯だ。甥っ子は、テレビを見ている。
恐怖映画の「ソウ」シリーズだ。子どもたちもつられてみている。こんな映画を見ているのは良くないと思ったが。一方で、こんな映画の需要があるというのは、仕事が欲しくても仕事がない状況の甥っ子のストレスの気持ちを反映しているのだろうとふと思った。

どこか近くへ行ってみたいと思っても、そんな時間もない。帰り支度をしているうち、そろそろ空港へ行く時間だ。ここはPasayのホテルではない。彼女も、空港まで1時間くらいかかるようなこと言っている。ならば、早めに出ようということになった。

まずはトライシクルでメインストリートへ

今回は、彼女と二人だけで、空港へ行くことにした。長女は一緒に行きたいぐずるが、彼女が、ここにいるように諫めた。私と彼女は、迷路のような路地をすり抜け、通りに出た。そこで、トライシクルを掴まえて、この辺りのメインストリートに出ることとなった。

トライシクルはバイクなので、このまま空港までいけないのというと、無理だという。案外、ここは、空港までは遠いらしい。トライシクルにバッゲージを積み込み、いよいよメインストリートに出た。途中、路上のたむろする人々の視線を感じた。ここでは、多くの人々は、貧しい生活を強いられているのだなと感じた。

私たち二人は、20分ほど、トライシクルに乗った。彼女は、子ども時代をここで過ごしたのだなと思う。道は割とまっすぐ伸びている。途中にはサリサリなどがいくつか見かけた。

そして、彼女がトライシクルを止めて、タクシーを掴まえた。

タクシーで、いよいよ空港へ

トライシクルを載るのもよかったが、彼女が言うように、トライシクルで空港まではいくのはちょっと厳しいのだろうと思った。スピードが出ないし、実際、メインストリートでは、トライシクルなどは走っていない。そういう交通規制があるのかもしれないなとふと思った。

私と彼女で、タクシーに乗り、空港へ。通りは、スムーズに流れているように感じたが、空港により近づくにつれて、混雑をしてきた。混んでくるという意識はなかったが。
そんな中、彼女は、また前回同様に私がフィリピンに来たことを感謝する気持ちを述べた始めた。その思いの籠った言い方に私は、またしても嗚咽してしまった。

それ以降、彼女は、私が帰国の途にあって嗚咽するのを楽しむようなところが出てきた。自分が大したこともやれないのに、彼女は私を大切に思ってくれていることにありがたかった。顔付や肌の色は違っても、心は日本人以上に温かい女だなと思った。この出会いにそして、彼女に感謝した。

タクシーは、見慣れない賑やかな街をいくつか通り抜け、いよいよ空港に近づいたころ、そこで、渋滞があることに気付いた。ここで、少し時間が気になりだした。途中タクシーが止まる時間も増えた。すでに12時30分を過ぎている。1時までに入れば十分だが、空港までのここからの所要時間が気になる。だけに焦った。

その後。タクシーは、20分前後走って、空港に辿り着いた。ここで、私たちは別れた。
「マタ、デンワチョーダイ」「電話するよ、じゃあね。」「アリガトウ ネ」彼女は、乗ってきたタクシーに乗り、実家に戻った。

☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ

感動は、現地の人と同じ目線でみる事で生まれる…

[su_note note_color=”#fffad9″ radius=”6″]私は空港までのタクシーの中で、再び彼女の言葉に絆され悲しいわけでもないのに嗚咽してしまった。その理由を考えてみると、彼女と別れるその切ない寂しさからだけではなかった。それはむしろ、彼女たちの生活目線に入れさせていただき、現地の方たちの思いの一部を共有させてもらったことによる感謝の気持ちを抱いたからかもしれない。

彼女は、私が帰国すれば、いつものどおりの生活に戻る。一方の私はここで幾多の東京とは異なる不便さや文化の違いなどを感じた。しかし、不便に感じられたものの実態は、ここへ来てみると、すべてが生活に根差したものであり、生活の現状に合わせてそこに必要があって”在る”という感じを強く持った。

東京に居たらきっと不便と感じられることであっても、ここでは、ごく自然に受け入れられた。例えば、蛇口のない水道。シャワーはただの水浴び。私の見方には、どうしても、東京目線の奢りはあるかもしれないが、それでも彼女らは、その現実は、現実として優しい目線で受け入れられているというその豊かな感性にただただ敬服した。 [/su_note]

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