すべては朝の買い物から始まる
フィリピンの女性は働き者だ。残念ながら、男性は仕事がないという事情があって、そこかしこでたむろしていることがある。彼らは仕事をしたいと思っているが、なかなか仕事がないようなのだ。この話は、いづれとりあげたいと思う。
フィリピンの朝は、実に、のどかだ。時間が気にならない。時間を必要としない。ただ生活をすればいい。私は、彼女が差し出したチャーハン?(実態は白飯に焼き魚が2匹)を食べ、甘いコーヒーも飲んだ。そして、彼女の兄弟ら家族に顔をさらす。もちろん、昨日にもすでに簡単な挨拶はしているが。改めて、「グッド・モーニング」と挨拶した。
フィリピンは、基本的に家父長制の伝統があるらしい。お父さんを立てるところがある。
私も、彼女のお父さんにあらためて、よろしくという意味であいさつした。お父さんは、穏やかな方で、静かにニコニコしてうなづいてくれた。よくわからないが、日本から私が彼女に電話した時に出た方は、おそらくこの方かもしれないとふと思った。
彼女が何かの事情でいないとき、電話に出られないとき、「アトデ…」と言った方だろう。お互いそれ以上の会話ができない。残念ながら。なぜというなら、私は英語もタガログ語もできないので。
私は、彼女の部屋に戻って、荷物の整理をする。すると3才の長女が、私に興味津々で、部屋を覗きに来るのだ。「コノ オジサン ナンダロウ…」という具合だろう。でも、すぐなつく。私がおいでと手招きすると、傍にやってくる。持参したノートPCを開いて、Widowsアクセサリーのゲームを一緒にやる。分かりやすいピンボールだ。
本人もすぐ、意味がわかって。「デキタヨ」という表情を見せるのがかわいい。私も、日本語で返すしかないので「上手だね」とほめる。何となくわかるのだろう、嬉しそうに、またおねだりをする。私の膝の間に入って、すっかりこの子と打ち解けた。まもなく、彼女がやってくる。「マッチャン ナニシテル カイモノ イコウ」
トライシクルで20分ほどの隣町のビッグモールへ
3番目のお兄さんが、運転するバイクで、長男、長女のおチビさん二人を連れて、5人でモールへ行く。私は、買い物についていくのが好きだ。どちらにしろ、ここでは何もすることがない。こうして彼女の言うがままに、着いていくのが一番だ。
彼女の気持ちはどこか明るい。どちらかと言えば、無駄なおしゃべりはしないタイプの女性だが、私と何やかやと話した。最もバイクの音や、道が良くないので、話はあまり聞こえない。
このサイドカーは、ガタガタ揺れ、乗り心地は決して良くない。だが、景色と一体になれ、自然の風を受けどこか楽しくもある。
モール街は楽しい
このモールは、かなり大きい。どこまでも、商店街が続く。特に、中心のパブリックモールでは、オープンなお店がぎっしりひしめいている。真ん中あたりには、生鮮な肉や魚、野菜などが、山積みされて売っている。肉は、かなり生々しい状態で売られ、大きな包丁でさばいているのが、よくわかる。迫力満点だ。そしてハエが多い。
彼女に、あっちだ、こっちだと、リードされる。店と店の間が、とにかく狭い通路となっている。人と人がやっとすれ違えるほど狭い。その分、店の商品が、これでもかと通路をふさいでいる。
サンダルを打っていたり、おもちゃだったり、Tシャツだったり、バッグだったり、音楽CDの店だったりする。買わなくても、わくわくする。これがフィリピンだという感じだ。
彼女がどこか生き生きしている。店の売り子と何やら話ながら、包んでもらっている。
さらに乾物屋というのだろうか、何か堅い干し麺やら春雨のようなものをどっさり買い込んていた。売り子に後で持ってきてほしいようなニュアンスで指示している感じだ。それは、モールの外のガスステーションのことのようだ。そこに彼女のトライシクルが駐車されているので、そして3番目のお兄さんもそこで待っているということのようだ。
長女もおもちゃ屋の前にいくと、未練たっぷりに、マミーにねだっている。彼女も仕方なく、蛍光ライトのようなスティックを買ってあげた。魔法使いサリーが持っていそうな魔法の杖のようなおもちゃだ。降るとライトがキラキラする。それが、長女にはうれしいようだ。やたらと振り回している。
買い物がすんで帰宅
彼女はとにかくうれしそうだ。買い物する楽しみをひたすら喜んでいる。そんな姿を見ているうちにガンで他界した母の事を思い出した。私の母は、生涯を通じてずっと貧しい生活を強いられた。夜の寝る間を惜しんで家族のために内職もしていた。働いても働いても貧しいだけの苦労ばかりの生涯に幕を閉じるころ、私に述べた言葉が印象的だった。
「毎日、平凡な生活し、買い物したりできることは、とても幸せなことだとわかったよ」と、何と欲のない言葉だろうと。いま、思い出しても涙が込み上げてくる。哀れな母だったなと、つくづく私の親不孝を心から詫びている。
いまこのフィリピンの街で、彼女の買い物する姿を見て、その思いがダブった。彼女の心情は時々、どこか死んだ母の欲のなさに似ているなと感じることがある。私は、今後、彼女との関係がどうなるか神に任せて、それでも彼女との縁があるうちは、幸せにしてあげようと強く思った。せめて死んだ母にしてやれなかった親不孝者の罪滅ぼしに。
私たちは、買い物を済ませ、彼女の田舎街へ引き返した。
☆フィリピンお役立ち情報・ひとくちメモ
トライシクルは、田舎生活の必需品だ!
[su_note note_color=”#fffad9″ radius=”6″] 彼女の田舎のように、文字通り田舎に住む者にとっては、トライシクルは必需品だ。
バイクは、日本のホンダ・ブランドのバイクがとんでもなく人気だ。
ただし、普通のバイクの2倍ぐらい価格差があるので、なかなか買えないようだ。そして、中古のバイクも価格面で人気がある。
また米国人の乗るバイクは、カッコが良いいと、これも人気がある。
*写真は、町の通りがかりで見かけたおしゃれなトライシクル
彼女の家のバイクは、おそらく彼女が、日本やその他の外国で出稼ぎの収入で買ったものだろう。よく私のバイクという言葉を使っているので。悪いが、オニイサンたちにバイクを買うだけのそれだけの稼ぎはないようだ。
ただ日本製のバイクは、問題がないが、安価に入手できるバイクは、常に故障する。タイヤがダメになったり。エンジンオイルのどこそがと、ブレーキ―がどうのこうのと、私に訴えることがある。身近な交通手段なので、バイクなしの生活は、ちょっと考えらない。成り立たない。もし隣町のパブリックモールまで歩いていけば、半日仕事にだろう。[/su_note]