今日は、パートの2時間で、終わる。だが、今朝私は、朝の3時に目覚め、
そのまま、継続して寝ることができず。しばらく横になったまま。起きる決断をした。
3時30分ごろには、PCの前に座っていた。
寝不足のまま、今日一日が始まった。パートの仕事を終え、自宅に戻ると、気力がない。
眠い。疲労感で、眠い。目を閉じれば、そのまま寝てしまいそうだった。
そして、このままでは何もする気がしないため、午後、食事を終えて、小一時間ほど、寝ようと思った。
眠りは、すぐに訪れ、気が付くを、死んだ母とやり取りをしていた。会話の内容はわからない。
ただ、ある思いだけは、はっきりしている。夢の中で、母は、私を支えてくれていたことだ。
生きていた時のように、私の世話をしてくれていた。それが、現在であるような錯覚をするほどの、夢の中だった。目覚めて、それが夢だったのだなと思った。
「なんで…母の夢を見たのかな…」と思ったと同時に、いま、経済的に厳しい中にあって、母は、怒ることもしなかった。怒ってくれればいいのにと思ったほどだ。ただただ、自身が、不甲斐なく他界した母に申し訳なく思った。
懺悔の気持ちから、母の夢を見たことを書いてみたいと思った。
夢の中にいたとき、私は、母の年齢とともに、私自身も若かった。夢の中の映像は、かつての日常をただ夢の中に見ていただけだ。リアルだった…
何の脈略もないことを書き始めた。この後のまとめも、きちんとしたものにならないと思う。
そのうえで、話を変えさせていただきたい。
私自身をスピリチュアルにしているその原因の一つに、母が、病院で見せたある現象というものがある。それを、本日のまとめにしてみたい。もちろん、まとめになんかなっていない。
そのことをきちんとお伝えしておきたい。
母が死んだのは品川区内の病院で、死因は、直腸がんによるものだった。1995年の1月中旬だった。病状の詳細は、省かせていだだきたい。その年明けの前に、ある出来事があった。それがとても私自身にとって、印象的だったので、夢見の一つとして、ここに紹介しておきたい。
ある日、私と母が住んでいた集合住宅のご近所さんが、一人で、病院に見舞いに来てくれた。
それはありがたいのだが、正直、私はその人が好きではなかった。
その方は、ある宗教系団体のメンバーで、何かとうるさくついて回っていたからだ。ご近所の親しみで、仲良くしてくれていたことには、感謝しているし、よいのだが、親しくしていたのも、彼らのなりの意図があったからで、母もそれに関しては、嫌がっていた。
しかも、この頃、母は、私や兄の顔はわかっても、それ以外の人物については、痛み止めの注射の加減で、前後不覚の状態にあった。だけに、見舞いに来られても、話ができるわけでもなく。夢うつつの状態だった。
そのご近所の宗教団体の方は、足元で、母の顔を覗き込みながら、何か、口でもごもごしていた。それを知人に話すと、いわゆるその宗教の祈りの念仏を唱えていたのだろうと言われ、なるほどと思った。
その方は、母の足元のベッドの傍で、およそ1時間ぐらいいた。私は、面倒くさい感じになっていた。早く帰ってほしいと思った。
その刹那、母が、夢うつつの状態の中で、天井の方に向かって、左手をさし挙げて、うれしそうな、ホッとしたような表情を浮かべて。やっとの思いで「ありがとうござぃます。」といった。その時、母は、天空に挙げた手で、何かを受け取り、口に持っていた。
そして、一口か二口、もぐもぐとした。お饅頭でも食べるように。不思議なのは、どこか神々しく神聖な感じがしたのだ。
私は、その時、うつつの母は、神と会っていたのだと感じた。なぜか、そう感じた。
何も、根拠はないが、その直感は、正しいと思っている。
本来であれば、この頃、母は点滴しかしていない。その飢餓感というものが、そんな夢うつつを見たという方が正しいのだろう…。
だが、母は、確かに神に会っていたのだ。ある種のお迎えのようにも感じた。末期の母に、神が、「もういいのですよ」と、母に告げに来たのだと思った。
この時の様子を、先ほどの宗教系の方が、見ていた。この方は、おしゃべりで、私にもそれが漏れ伝わって聞こえていたので、こうしたことを、ご近所さんに言いふらすのではないかと思い。お引き取り願った。
それ以降、他界するまで、寝ている姿しか見た記憶がない。
ある年明けの未明に、電話が鳴った。静かな声で、「危篤です。すぐいらしてください」とオフィシャルに伝えられた。
午後の睡魔に襲われて、うたた寝で、
母の夢を見たので、何ら脈絡もないが、こんな記事を書かせていただいた。