「マスターの教え」著者/ジョン・マクドナルド(山川紘矢・亜希子訳:飛鳥新社)は、
なぜか、くり返し読みたくなる不思議な本だ。
こうした思いは、私だけの感想かもしれないが。
読後、いろんなことが気になり、
WEBで「マスターの教え」について書かれたブログなどを見ると、結構な回数を読んでいる方もいるので、私だけという限定は必ずしもあたらないかもしれない。
私事で言えば、この本を読んだということが、その後の「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択 (ヴァジム ゼランド (著), ほおじろ えいいち (監修), 須貝 正浩 (翻訳)徳間書店)や「マスター・キー」(チャールズ・F.ハアネル/著 菅靖彦/訳 河出書房新社)との出会いに続く。
その意味で、私の世界観を大きく変えてくれた”「マスターの教え」の著者/ジョン・マクドナルドには、感謝の気持ちでいっぱいだ。もっとも、私自身の心深くに根付いていたネガティブな迷宮に気づきを与えてくれはしたものの。頭で考えすぎることが増え「信じる」という極めてシンプルな行為のその壁を乗り超えることは却って難しく感じる深みにもハマった。
何はともあれ、
私のこの本に対する特別な思いを感じていただければありがたい。
この本のあらすじについては、
複数のブログの中で紹介されているので、
あえてこのブログでは重複を嫌うという意味であらすじの紹介はあえて避けたいと思う。
この本の体裁について簡単に言うと、
ほぼ新書版サイズで、わずか120頁ほどの薄い本だ。
日本語版だけのことかもしれないが、活字は比較的大きく読みやすい。
何より、難しいことを理解しやすいできるだけ優しい言葉で書かれていることだ。
なぜくり返し読みたくなるのか。
あるいは
この本のどこに取り憑かれるような魅力があるのか。
そのことが、このブログの章のテーマでもあるし、
私の重要な関心事でもあるのだ。
こちらに力点を置いてこの本について書かせていただいた。
著者のジョン・マクドナルドは”読者の皆さんへ”で述べているが、
まず、
「この本は、一連のメモをもとに、一つの物語とわかりやすい実習にまとめたものです。」
とある。
さらに、ここが重要な箇所だが、
「ページの中に、説明のできない『何か』があります。そしてそれがすばらしい霊力を持ち、読者にダイナミックな確信と気づきを与えてくれます。」(「マスターの教え」ジョン・マクドナルド著/山川紘矢・亜希子訳:飛鳥新社 本文より引用)
と語られている。
霊力…
言葉に宿るとされる霊的な力を言霊と言うが。
中でも”ありがとう”や”感謝”などの言葉は、言霊を象徴する代表格とされているのは周知のとおりだろう。
この本は、そうした言霊の持つ力がよく発揮される単語が多く、
そうした文章構成なのかもしれない。
特に、
この本の
第12章: 個人を越えた無限の宇宙の力 p88
は、難しい事が、実にさらりと優しい言葉で次のように語られている。
「『私は、私である。』(I am that I am)という言葉の意味を思い出してください。この言葉は、時代を越えて生き、語られています。この言葉の意味が本当に理解された時、私たちは個人を越えて、宇宙の力に結び付けられるのです。”(「マスターの教え」ジョン・マクドナルド著/山川紘矢・亜希子訳:飛鳥新社 本文より引用)
とある。
この箇所は、極めて重要で。
この本の持つ霊力の源のページなのだと思う。
正直なところ、私は、この意味を充分に理解しているとは言わない。
なぜなら、
”マスターの教え”では、あえてさらりと語られてしまったのだろうと推測している。
そうしなければ、この箇所の説明で多くのページを割かなければいけなかったこと。
そのことで、本来、私たちが理解しなければいけない主要なテーマが、
却って混乱を招くと判断したのだと理解している。
その意味で、読者(私たち)は、
”マスターの教え”で避けられた問題のその後を私たちが引き受けて、
振り回される必要はないのだ。
ただし底なしに深い言葉なのだということだけは、判る。
ここでは、
私は、
この第12章の理解のために、
R.W.トライン著の人生の扉を開く「万能の鍵」を読むことをお薦めする。
この「マスターの教え」の魅力について、
もう一つ述べておこう。
挫折に喘ぐ人の、成功者へと導くための、文字通り道標(みちしるべ)となっている点かもしれない。
それは、前半の物語に含まれている。どこか甘美な臭いのするストーリーの部分だ。
成功へのプロセスは、自分の高嶺の願望に恋した者だけに訪れる切なさを含んだものだから。
いずれにせよ。
私は、この本を手放せないと思っている。