成功法則の学びを意識するまで、私の自分の身の上に起こる問題は、
なぜこんな問題が起こるのかと。
当然のように不満に思ったり悲観したりもした。
だが、それがとんでもない間違いであるということが分かった。
このブログで紹介している良書で学びの示唆を受けることで
気づかされようになったのだ。
不満に思うのは、その思考の根底には”人生は一度きり”だという考えに
支配されているということがあり、また
自分と同じ問題を抱えていない一見幸せそうな他人とを比べて不公平感を
抱くことに由来しているからだと思った。
確かに現世で自分といういま個体としての肉体を所有している人生は
一度だけだろう。
しかし、実は、魂は不滅なのだ。
もし、”人生は一度きりだ”とする考え方が支配的なために
魂が不滅だという信仰を抱けないとするなら、
それは人生への理解に対しての重大な損失になると言えるだろう。
何も信仰といっても、私は、宗教家でもないし、宗教とは一切無縁だ。
つい数年前までは、
神という言葉を口にすることもほとんどなかった。
あるとも、ないともいう議論をはじめ…、どちらかというと、
それ自体に特に興味もなかった。
それでも成功法則を学べば学ぶほどに、どうしても魂の成長ということ、
私たちは、スピリチュアルな存在として必然的な生を受けたのだという概念が
避けて通れなくなった。
私は、心の作用・反作用ということについて、ただならぬ関心をもっている。
それには、もちろん深い意味を込めている。
物理的現実世界でいうところの作用・反作用は、
実のところ、私が、高校生の時に、大嫌いだった物理の時間で、
初めて附に落ちるカタチで理解できた法則のひとつだった。
そして私自身の学びの成長とともに、それがとても重要なものだと思うようになった。
やがて、、
作用・反作用の法則は、自然界だけのことに限ったことではなく、
目に見えない世界=精神的な領域においても作用しているのだということ
確信するようになった。
それが”心の”+ ”作用・反作用の法則”だ。
端的に言えば、
私たちが”心に思うことがあれば”
現実の世界でそれが引き寄せの法則などともに
具現化するという概念だ。
私たちの魂としての存在は、
この心の作用・反作用の法則を通じて、
学びの成長をするために、一時的に、肉体を借りて”いま”を生きている。
私たちの自分の人生に起こる様々な問題は
私たちの魂の成長のために試されているいわば試練なのだ。
その試練が作用ならば、私たちの魂がどう乗り越えるか。
それが反作用なのだと気づかされる。
ジョン・マクドナルドは、自身の著書「マスターの教え」(山川紘矢・亜希子訳:飛鳥新社)で、
自分に降りかかる問題は、自分で解決するしかなく、
また他人の問題については、第三者である私自身が関与し解決することは
できないことを教えてくれる。
試練は、私たちがそれを乗り越えるたびに、魂の学びとしての成長が、いつまでも続く。
私は魂の学びの成長を導く大いなる無限の力の存在にもっと感謝すべきだと思うになった。