私たちをとりまく物理的現実は、私たちの意識が投影されたもの、反映したものだということを納得する必要があると思っている。
あまりにリアルな現実は、そのリアルさ故に、あまりにリアルな経験と体験さ故に、そう信じることは極めて難しいが。それでもバシャール(※チャネラーであるダリル・アンカーがチャネリングによってコンタクトするスピリチュアル的存在)が指摘するように、私たちの意識の中にある世界の投影を見ているにすぎないのだ。
私たちが外側にあるものだと思っている物理的世界は、私たちの意識の中にあるものだ。私たち自身が自らが創り出した世界で。私は、そのように言う、バシャールの概念を強く支持している。
結果として、現実からの学びによって多くを諭らされている。
つまり、
私たちが経験し、体験している物理的現実は、望んでいようが、望んでいまいが、
すべての結果は、私たちの思いプロセスの現れなのだということを納得しなければならない。
物理的現実は、文字通り、私たちの心の思いを3次元の世界にホログラムのように映し出す鏡なのだ。
私は、先ほど、ちょっとしたアイデアを思いついた。
バカバカしいと思ってもらっても構わない。だが、案外効果を示すのではないかと、
そのアイデアに期待もしている。
私たちは、洗面所などに行って、時間の長短は、人によってマチマチだろうが、
少なからず鏡に向かって今の自分を映してみることがある。全く見ないという人は、
おそらく、いくらもいないだろう。
そんな鏡に映った自分を観て、「少し、太ったな…。」とか「疲れた顔しているな」、
「顔色が冴えない」「眠たい顔している」とか、ネガティブな思いを抱いたり」」
反対に、「最近、なんとなくイイぞ。」「明るい感じなった」「生き生きしているね」
「自信に満ちた感じがする」
などと、ポジティブに反応することもある。
私のアイデアというのは、何のことはない。鏡に向かって、自分を褒めることだ。
そうすることで、暗示効果があることは、多くの方も周知しているだろう。
毎日繰り返し自分に向かって褒めているうちに、結果、自信がつく。
これと同じことを、私たちを取り巻く物理的現実の《結果世界》に対して、
やってみるのだ。
褒めるのだ。褒めようがないほど、辛く、厳しい状況であってもだ。
どれほど納得できない。思わず舌打ちしたくなるようなどんな状況にあっても、
目の前の物理的現実に対して、あえて褒めるところを探すのだ。
なぜなら、物理的現実は、私たちの心の世界を映し返す鏡だからだ。
とにかく、
褒めまくるのだ。褒めまくってみよう。
そうすることで、私たち自身が、いま明るくなれる。
人を心から、褒めたことがある人なら、きっと分かるだろうが、
まず、褒めると相手が喜ぶことは、もちろんのこと。
多くの場合は、相手の態度が、自分に対して好意的になってくれるものだ。
ケチを付けて、以前より人間関係がさらに良くなったなんて話は聞いたことがない。
人間関係なら悪化しても、親密さが増すなどということは、まず原則的にはない。
すべてそれは、道理に適っている。
仮に、相手が素直でなく、あるいはとても反応が鈍く、好意的になってくれなくても、
多少とも人を喜ばせたということで、
自らも何らかの形で気分はいいものだ。というのと同じように、
少なからず、自らの気分が明るくなれば、私たちの心を反映して、
向き合う現実もそれに見合う形で、変化してくる。
必ずそうなる。なぜなら、物理的現実は、私たちの意識世界を反映したものだからだ。
褒めるというのと、感謝はある意味、同じ方向にあるポジティブなことだ。
ここまで、書いた時、ふと、ホ・オポノ・ポノの精神を思い出した。
「ごめんなさい。
ゆるしてください。
ありがとう。
愛しています。」
この言葉に託された思いは、
なるほど意義のあることなのだということを気づかされた。
辛く、厳しい現実に対して、その中から、何か良い意義を褒め称えることは、
かなりバカバカしいと思われるかもしれないが、
実は、逆説的に案外効果があるのではと、私は確信している。