子どもは、危険な遊びをするものだ。
いまでも、私の心の片隅に決して消えない記憶の欠片がある。
時々、それが私を不安にすることも何度かあった。
小学生の時だ。3-4年生ぐらいだったのだろう…。
もはや遠い記憶で。だが、その時の場面数カットと印象だけは、
深く覚えている。
それは、他愛のない遊びで、それ自体、特にどうということもない。
ただの何でもない遊びと言えば、遊びだ。
しかし、
今考えても、どうして、そんな遊びをしたのか、理解に苦しむ。
子どもだから、と言ってしまえば、それも答えかもしれない。
しかし予想に反して後遺症は大きかった。
ずっと後になって、
果たして、いま自分が存在しているのかという疑問を持つようなことになるとは、
その時はまったく思わなかった。
当時も私の家は貧しく、ちょっとした2階木造建てのアパート郡が5-6棟が並ぶ、その中の一棟に住んでいた。
程度の差はあれ、そこのアパート郡は、多くの家庭が、それぞれに貧しかった。
その頃は、今と違って、子どもたちは、町中でよく遊んだ。
毎日が冒険に満ちていた。
日焼けで黒いのか。汗や泥で汚れて黒いのかわからないほどだった。
お化け屋敷に行こうと言っては、後に、そこは、テニスコートなどが何面かがあるような財閥系有名企業の倶楽部施設の建物だと知るが。そこの森で虫取りもしたものだ。都会のささやかな森だったが、蛇も見かけた。
私の住んでいたアパートの50メートル先には、
通っていた小学校があった。
あるとき、私がよく遊んでいた中国人の子、劉君とは、違う子と遊んだ。
普段遊ばないあまり親しくない子だった。A君としよう。その彼には、弟がいたように思う。
A君は、暗い廊下をはさむアパートの1階に住んでいた。どこかA君は、陰気な感じがした。
私とA君とその弟の3人で、外に停車していた自動車で、遊ぶことになった。
なぜなのか、その経緯は、覚えていない。
自動車の後部のトランクスの中に、交互に入ろうという。遊びだった。
トランクスは、開くことができたからだ。
勇気試しなのだろう。どのくらい入っていられるかという何ら意味をなさない遊びだ。
まず、A君が、入った。きっちり、ロックをかけて。
締めたあとで、私は、不安になり、すぐにA君を出した。
そして、今度は、自分の番になった。ほんとは嫌だった。逃げ出したかったが、
A君がすでにトライしているので、辞めたいという口実がなかった。
純粋な私は、素直に従って、中に入った。
「ドスンッ!」蓋の締まる音が、中の私を拘束した。中は、もちろん真っ暗だ。
中から開けることはできない。A君を信じるのみだ。
蓋の閉じられた、隙間から、外の明かりがわずかに見えた。どのくらい居たのだろう。
確信はないが、
きっと、怖くて、すぐに出たのだと思う…。
たったこれだけの他愛ない遊びだ。
だが、その遊びの記憶は、私を決して自由にしてくれなかった。
その後、私は、幾度か不安になることがあった。
私は、果たして、そのトランクの中から出られたのか…どうか。
A君は、私を出してくれたのだろうか…と。不審を抱いた。
そして、
私の疑念は、何度か同じ帰結をみた。
私は、不安と怖れで疲れ眠ってしまい。
もしかすると、私は、いま長い長い、とても長い夢を見ていて…
いまなおトランクスの中に居るのではと真面目に考えたりした。
いま私の現実は、リアルな現実なのかを時々疑ったこともある。
もちろん、私は、現実に暮らし、成功法則を携え実践者として生きている。
この体験とその後の不安が、
私に潜在意識への興味と関心を生んだ一因にもなっているのだと思っている。
この話を敢えて取り上げたのは、私自身を開放するためだ。
いつまでも自分自身の中で抱えて、充分、その影響力を考えることもなく
知らずに燻り続けるものは、表に出したほうが良いと思ったからだ。