夢見心地☆幸運の女神 ★19#0128

フィリピン-ピリピン

以下の内容は、6年ほど前の私自身の実体験を書いた備忘録だ。
それを本日のブログとしたい。詳細や前後関係については、都合上、あえて曖昧にさせていただいている。そこは、本筋ではなくあまり重要ではないので。
        *  *  *

斎藤一人さんの言葉に、
「私には福の神がついている」 というのがあり、
今朝、ふとその言葉を思い出していた。いまでは、斎藤一人さんと言えば、日本でトップクラスの大金持ちで、成功者ということになっている。

この言葉、なかなか言えないよな…と思った。

一見、難なく成功したかのように見えるひとりさんだが、この言葉が、ひとりさんの口を突いて出てくるまでには、大変な厳しい時代もあったのだろうと勝手に思っている。あまり苦労話をしているのを聞いたことがないが、著作で知ったのか、講演CDの話の何かだったのか…。

若い時に、雪の中を、長距離トラックの運転手をしていたようなことを述べていたように思う。正確ではない。間違っているかもしれない。ただ、そのときに、
「ふ~ん。そうなんだ。」と思ったものだ。

だが、いまの大成功までの道のりが、そう単純なものでは、決してなかったろう。
何か、厳しい場面で、「私には福の神がついている」と思うことにした姿が見える。
ご本人が語っていない、あくまでも私の勝手な憶測で言っている。

なぜ、この言葉について考えてみたか?

ふと、いま私が置かれている状況を思ったとき、笑うしかないような。
そうまでしないまでも、
逆に愉しいという感じが、フツフツとしてきたからだ。

その理由を考えてみた。思い返すと、
ここ数カ月というか。1-2年というか…。
毎月1ヶ月のうちのどこかのタイミングで、どうしようもなく文無しになることがあった。

いまどき、大の大人のポケットに、わずか二百円程度しか、持ち合わせがないのだ。あるいは数十円しかないときもあった。
そんなことが、報酬の支払い日の直前までに数日間続いた日もあった。金がないからといって、

アルバイトを休むこともできない。むしろ金欠の悪循環にさえなる。
ともかく乱雑な机の上のどこかに埋没した小銭がないかを探して、
アルバイトに出かけ、なんとか凌いできたこともある。

今日までを振り返り、
よく凌いできたな…という実感さえある。また良くしたもので、
公共の人の行き交うところを歩いていると、時に、100円が落ちていたりする。

「ラッキー!」

わずか100に満たないとき小銭しかないとき、
たまたま10円を拾って、それで、コンビニでパンを買い空腹を一時的に癒したこともある。

毎日ではないが、そんな浄財が、ごくたまに落ちていたりするのだ。
さらに、こんなこともあった。バイト先で、職場の同僚が、なぜか、拾ったからといって、「やるよ」といって、100円くれたこともある。正直ありがたかった。
ちょっとした苦笑いを浮かべた。

わずか数回のことだが、拾ったお金で助けてもらえるなんて、
お金に苦労することがなかった今よりずっとマシな頃には、
考えてもみなかったことだった。

その頃は、仮にお金が落ちていても、気づかなかった振りをして、拾わなかった。
金を拾うこと自体が恥ずかしかったのだ。その報いが今きているのかもしれない。

今月、切羽詰ったときのいろんなアイデアで、なんとか、今日までやってきた。
まもなく、ささやかな収入があるが、その日までに、また行き詰まってしまった。

ご近所さんに、ちょっと度々の工面してもらうこともできるだろう。他にも、ちょっとしたアイデアがあり、迷惑ついでに、わずかばかりの入金も期待できるかもしれない。
だが…ふと、思いを馳せた。

開きなおりというのか。

「きっと、なんとかなる…」そんな思いが支配した。どこか、妙に、愉しくさえあるのだ。
これまでにも苦しい場面は、何度もあって、今回がはじめてではないのだから。
多分、もう数ヶ月先には、また違う悩みを抱えているはずだろうなと思えて。

いままでもそうだったじゃないか。何度、今回は、厳しいと思ったことか。
そのくせ、今はその時のことが思い出せない。人間は、都合よくできているのだ。

来週、午後にちょっとした用事で、出かける。
しかも文無しで。そこへ行くまでの片道の電車賃しかないのだ。
帰りは、2時間かけて、ゆっくり帰ればいいと思っている。

きっと、
何らかの方法は、あるだろう…。

私は、数年前に読んだ「成功の掟」(マーク・フィッシャー[著] 近藤純夫[監] 上牧弥生[訳] 日本能率協会マネジメントセンター)の全3巻を、押入れから出して、パラパラとめくった。
その第1巻に、フリーハンドの線引きがしてあった。もちろん、私が引いたものだ。

この本は、小説仕立ての成功法則物語だ。「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)のような大金持ちの老人が出てきて、若者がその教えを受け成功するという内容だ。

内容ばかりでなく、設定の詳細も、もちろん違うが、この手のものは、マスターから教えを乞うというストーリー展開という意味ではどことなく似ている。

この第1巻の線引きしたあたりに、注意が向いた。

   「幸運の女神を信じること。心の中でいつも女神を思い、自分の望みを
    伝えるのじゃ。そうすればきっと応えてくれる。成功した人間はみな、
    幸運の女神を信じているのだよ。たとえ迷信だと笑われようと、
    気にすることはない。」

           (「成功の掟」:p79より)

この言葉が、いま、ふたたび私を勇気づけてくれた。
私の人生の定義にしようと思った。

私が、愚かにも、
どこまでも強く引き止めている
「お金がないという貧乏グセの神様」を手放す勇気が、
ふと湧いてきたからだ。

開き直る。そして、なんとかなる。

拘わって、手放せないものを、真に手放せたとき、
幸運の女神が現れるとそう思っているから。
苦しいのは、あと一息だ。私にとっての春が、今そこに来ているらしい。

私は、こんな恥ずかしいことをあえて書いた。

なぜだか言っておこう。
私は、必ず大成功することを確信しているからだ。
大見栄で言ってるんじゃない。

単なる宣言!

ありがたいことに。
そこそこ、どん底を楽しませていただのだから、あとは成功するしかないでしょ。

物理的現実は、そのようにできている。

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