夢見心地☆水をワインに変える ★19#0160

フィリピン-ピリピン

なかなか説明しにくいのだが、
私は、”純粋に信じること”の大切さを、
誰もが、真正面に取り組む必要性を感じている。

疑わず信じること。
これをすることは、ほんとに難しい。

だが、その先には、偉大な結果が、待っているとしたら…。
私は、その偉大な結果が、実は、その信じた先のその向こうに、
本当にあるのだということが、思えるようになった。

理屈で分かっていても、
無条件に疑わず信じることは、やはり難しい。
それでも信ずるべきだとわかっている…。信じたほうがいいのも分かる…。その堂々巡りは、別として。

正直な話、なぜ(信ずることがいい。)そうなのか、その理由を説明することはできない。
これという根拠が示せない。
ただ言えば、信じた通りになるからだ。この宇宙の仕組みとして。

学びの積み重ねで、いま、じんわりと、そう思えるようになりつつある。

このレベルでものを言うのは、全く説得力がないだろうが…。
それを承知であえて言っている。

ここへ来て、改めてジョセフ・マーフィー博士の言葉を、
近頃、もう一度、見直している。

なぜなら、
そこには、本当に「信じること」を、無条件にできた場合の珠玉の言葉が、
よくよく述べられているのだなということに気づかされるからだ。

中でも、
「水をワインに変える」とは、ジョセフ・マーフィー博士の著書「マーフィー 貧しさと富の法則 宇宙はあなたの祈りに従う」(ジョセフ・マーフィー[著] 奥野節子[訳] ダイアモンド社)には、聖書からの言葉として、その思いの込められた引用がなされている。

これは、前述書の中では、はっきり比喩として扱われている。
そして、この場合の水とは、心構えをさしている。

通常、水は、常識的に、ワインにはならない。

話が少し反れるし、しかも、誤解を恐れずに言うが、
私は、イエス・キリストは、水をワインに、ほんとうに変えられたのだろうと思っている。
そして、そのキリストは、登場の仕方が、神そのものであっては、いけなかった。

文字通り、人の姿をしていなければ、どうしてもならなかったことに、
重要な意味があったのだと思っている。いま、私がこの話をすべきでないし、
そのキリストの話になると、話がとんでもない方向に行くので、
省略をさせていただく。

少なくとも…。

少なくとも、マーフィー博士は、この本の中で、聖書の言葉を借りながら、
水は、ワインに変わるのだということを、どうしても伝える必要があったのだ。

もう一度、再認識する意味で言うと、マーフィー博士は、

「水=心構え」の象徴だとして、前述の本の中で記述している。

物理的に言うなら、常識を持ち込むなら、水は、ワインに変わらない。
だが、水を「イコール= 心構え」とするなら、ワインも一つの象徴であり、
本の中で次のような記述がある。

  「聖書の中の”ワイン”は、あなたの欲求、衝動、計画、夢、
   成功などの実現を意味しています。つまり、それはあなたが実現し、
   達成し、手にしたいと願っているものなのです。」

(「マーフィー 貧しさと富の法則 宇宙はあなたの祈りに従う」
    ジョセフ・マーフィー[著] 奥野節子[訳] ダイアモンド社:p92)

と。さらに、もう少し踏み込んで説明をいれている。

  「聖書の中の”水”は、あなたの心、あるいは意識の状態を
   意味します。」

(「マーフィー 貧しさと富の法則 宇宙はあなたの祈りに従う」
    ジョセフ・マーフィー[著] 奥野節子[訳] ダイアモンド社:p92)

という解釈をするとき、
私たちは、

   「水をワインに変える!」(前出:より引用)

ことができる、私たちの意識の状態で、ただの心構えの象徴である水を
その私たちの願望のワインにすることができるという意味になる。

このことを、もう少しスローガン的にしたのが、次のメッセージなるだろう。

  「成功、富、心の安らぎの思考を抱くことで
   自分の内側の思考パターンを変えられるのです。」

(「マーフィー 貧しさと富の法則 宇宙はあなたの祈りに従う」ジョセフ・マーフィー[著] 奥野節子[訳] ダイアモンド社:より引用)

という。マーフィー博士の哲学が、導かれるのだ。



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