すべては、私の意識の中で起こっている。
その反映を私たちは観て、あるいは体験しているのなだということを強く感じるとき。
例えば、自身の意識について考えていたはずなのだが、その一方で、
望まない、忌まわしい環境の改善を求めていながら、やはりその意識について考えはじめると、狭義に限定された個人的な意識を超えて、結果としては、
宇宙全体としての意識についてまで考えが及んできてしまう。いづれは考えがそこへ行き着く。
今回のブログは、
どこかとりとめがなくバラバラ感が否めない文章の運びで申し訳ないが。
こんな日もあるものだとお許し願いたい…。
今朝、何度か「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)の本を手にした。
p256の「宇宙のひとつの意識」の項目を箇所を開いていた。
私は、何か「意識」についての答えを求めているのかもしれない。あるいは
私のこれまでの学びの成果だって多少はあるんだろう…。いや、僅かながらでも、それはあるはずだ。そんな確認なのかもしれない。
この項目は、「ザ・シークレット」の中で、
登場する量子物理学者ジョン・ハガリン博士の言葉から始まる。
「宇宙は本質的に思考から発生しました。」
(前出:「ザ・シークレット」p256冒頭より引用)
と述べる。
私が、この「ザ・シークレット」の本を、最初に読んだ数年前、この言葉の意味は、
まったく違和感があった。違和感そのものだった。理解ができず。したがって、そのままで、良いと、うっちゃっていた。
いま、私は、これはその通りだと思っている。(数年たって、消化できたのだ。)
なぜか、
意識が限定的(空間・時間的)に、私だけに与えられたとものだと思うことの方が、
合理性がなくバランスを欠いていると思うからだ。
意識が単純に宇宙全体のすみずみに横溢しているという理解の方がきわめて納得しやすい。
意識は、…宇宙意識が、
固よりあったということで、考えたほうが、自然だと思っている。
宇宙全体が意識だという意味で、
私たち人間は、その全体の中の「ささやかなパーツかプロセスの一部」なのだろうかと思う。
先のジョン・ハガリン博士は、次のように言う。
「宇宙は本質的に思考から発生しました。量子力学や量子宇宙学が
これを確認しています。
私達の周りの物質も凝結した思考から出来ているのです。
究極的に私達は宇宙の源です。」
(前出「ザ・シークレット」:p256より)
そのように語るハガリン博士は、「私達は創造主」だという。
それを受けて
私たち本質にあるものは、実は、創造主だという思いにいたらなければならないと、
つくづく思う。
いま自分の目の前にある忌々しい出来事が、自分の意識の中で作り上げたものであるなら、
なぜ、もっと価値ある思いに、意識の世界を作り上げられなかったのかという
自分への叱咤の気持ちと反省が沸き起こる。
私は、自分の意識にもっと良好なものを持ち込まなければいけないなと、
改めてそう思わされた。
☆ ☆ ☆
【フィリピン・夢見メモ】
私のとりとめのない意識についての関心と戯言は、
フィリピンのクリスマスを間近に控えた美しい夜の底を突き抜ける夢見街道から私は、
少しづつ目覚めた。
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