夢見心地☆調 整 ★19#0170

フィリピン-ピリピン

詳細は、述べないが(以下は、詳しくしたくないぼかしたい都合があって、日時など削除した部分が多少あるが、基本的な流れや筋立ては事実のとおりだ。脚色は一切ない。)その数日、お金が足りない状況がずっと起きていた。

そこへ、思いがけず、
非常にありがたいことが起きたという私の身におきた話を紹介したい。

お金の足りない状況とは、当面、必要な数万円程度のささやかな金額だった。
であっても、昨今の状況では、工面する方法が見当たらない。
いわゆるパートなどの通常の収入は、まだ報酬日が遠く、いますぐ期待もできない。
こうなると私の制限付きの理性は、いつものようにネガティブに胸を焦がすことになる。

例えば、こうだ。

  「うーん…、どこに、今のお前にもっと大きな稼ぎが期待できるんだ?
   宝くじでも買う気か。そんなに都合よく、宝くじが当たるもんか。
   苦し紛れもイイところじゃないか。…どうしよう。」

そんな理性の戯言は、ともかく。

その状況は、実は、数日前から、やや危惧していたのだが、やはり想定の通りになった。

その前に、
当然支払わなければならない生活上のあれこれの支払いをすべて済ませたと思ったのにも関わらず、それが想定以上にあった上に、
さらに、何か、忘れているような気がしていたら、やはり、まだ出てきた。

私の母の納骨堂の保管料の支払いまで思い出したのだ。
ただ、切なく笑うしかない。
年に一度のことが、今この時だなんて。

すでに期限を押しているので、お寺にお願いして、後払いの分割で、
とりあえず一部だけを支払った。

そこへ、狙いをすましたように、今朝、容赦なく、またお金の足りない状況が生じたのだ。
「嘘だろう…?なんでだよ。」という思いが、口元を突いて出た。

それについては、結局は、
あれこれ算段(ご近所さんの親しい人に借りるなど)して、最悪のシナリオを回避する道筋だけは付けた。

だが、トランサーフィンの立場をとる私としては、これでは、全くの落第点だ。

単に、状況に振り回されているだけに過ぎないし、みずからの内的意図(直面することに、自分の力で何とかしよう)で奮闘しているに過ぎないからだ。
私のめざすところは、なんといっても、
外的意図(ラッキーと呼べるような天の力、または天のお助け)の力で、労せず、すべてを見事に何とかすることをめざしたい。

ついては、
冒頭、私は、お金が足りない状況が起きたことを、ありがたいと述べた。

もちろん、正気で言っている。

だから、恥ずかし気もなく、
私自身の生活上のあれこれの一端を支障のない程度にお粗末さを晒した。

私がありがたいと思うには、理由がある。

お金が足りない状況と引換えに、ちょっとした気づきを得たのだ。

私が、気づいた学びの方が、あまりにも価値が高いから、それについて喜んでいる。
このお金が足りない状況をいままでのように、当然の試練や苦行、運命の皮肉として捉えていたら、気づきは得られなかったに違いない。

私の気づきとは、トランサーフィンにまつわることで。
「調整」と「二元論」についてだ。

今回の段階では、充分な思考を重ね切れていないので、
「調整」についてだけ、触れてみたい。

実は、
「調整」とは、そもそも「二元論」と切っても切れない関係だ。
そのひとつの側面だけを言うのは、おかしいかもしれないが、
いま感じている範囲だけで述べてみようと思う。

「調整」について理解で助けとなったのは、
トランサーフィンの第2巻によるものだ。
「[願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2]」(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

私は、以前、あまりピンと来ていなかった。

そして、
第3巻で、さらにその具体的な方法、対応が述べられている。
「[振り子の法則 トランサーフィン] 超スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法」
   (ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

すでに読んだ項目であるのに、いま、まさにお金が足りない状況と向きあったことで、
このページを偶然開いた。そして、深い学びを得たのだ。

その項目は、第3巻
《ネガティブをポジティブに変える意図の調整(コーディネーション)について学ぶ》
だ。

この項目の冒頭には、次のような示唆がある。

  「深い谷に飛び込んだり切り立った山をよじ登ったりすることなよう く、
   調整(コーディネーション)を心がけ、平らな道を進むには、
   いったいどうすればよいのだろうか。」

   (前出:「トランサーフィン」第3巻:p193より引用)

とある。「深い谷」「切り立った山」とは、それぞれ人生の谷底と天辺を意味している。
別な言い方をすれば、悪い時の状況や状態での感情をさしている。

トランサーフィンは、深い谷底へ落ちないようにするどころか、
幸運ばかりが押し寄せる天辺を歩けるようにめざす概念だ。そのための方法論を提示している。

ちょっと角度を変えた言い方をしてみよう。

私たちに、ネガティブな状況が起きて、それに私たちは、どう向き合うだろう。
ほとんどの場合が、困惑し、迷走する。もちろん、
その状況に対して喜ぶことなんかはできない。それどころか、進展具合で、さらに嘆き、悲しんだり、愚痴・不平・不満に思うだろう。極めて当然な態度だ。そのあまりにも当たり前な反応や態度が問題なようだ。

そこで、トランサーフィンはあえて「まさか」のことを言う。

つまり…、こうだ。

果たして、そのネガティブな状況にそのままネガティブな反応や対応を示していて、
それで、
うまく私たちの問題が解決するのだろうかと、あるいは解決しているのだろうかと、
逆説的に私たちに問うてくるのだ。

まったく、意表を突く指摘をする。

ネガティブな状況にそのまま、文字通りネガティブに反応や対応をしていると、
多くの場合が、むしろもっと悪い状況を引き起こすことがあることを、
時に、私たちは、それを体験で知ってもいる。

本の中にもあるが、「弱り目に祟(たた)り目」という奴だ。

私の冒頭の話も、そんな例だと思っていい。
次から次へと、請求書が舞い込んでくる。そんな状況。

ならば、思い切って…と言う。

そんな場合、
トランサーフィンは、あえて、私たちの態度を問う。ネガティブな状況や問題に対して、
向き合う態度を変えてみてはどうかと提案する。

  「その法則とはこういうものである。シナリオ上のネガティブに思われる変化を
   ポジティブなものとしてみなそうと意図することで、すべてはまさしく
   そのようになるだろう。」
(前出:「トランサーフィン」第3巻:p194)

と示唆している。それが、調整なのだ。

なぜ、それが必要なのか。

  「人生ラインにおける一つひとつの出来事は、良いほうと悪いほうへの
   二つに分岐している」
(前出:「トランサーフィン」第3巻:p195より引用)
    
からだ。まさに、その時こそが、選択のチャンスでもあるのだ。

ピンチはチャンスなりだ。

        ☆ ☆ ☆

【フィリピン・夢見メモ】
私のフィリピンの訪問は過去数回だが、そのたびに思うことがある。日本で、うんざりしているような問題をそのまま残しながら、フィリピンにくると、その前日までの苦渋が、すっかり影を潜める。はっきり言えば、消えてなくなるのだ。逃避行と言えば、そうかもしれない。この感覚は、まさしくシフトしたという実感をもつ。ましてや、心の神経を熱く焦がしながら、夢見街道で見た幻想的な美しい夜景を見たときには、すべてが一変していると思ったものだ。私自身の日本での生活場とは、何だろう…と嫌でもそう思わされた。



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★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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