夢見心地☆物理的な現実の変化に思う ★19#0176

トウモロコシ畑 フィリピン-ピリピン

数年前に、ちょっとした用事で、私が若い頃の一時代に働いていた映像制作会社や
スタジオがあった、とある街へ行った。

その時の話だ。

これまでにも、その近くを何度となく通ってはいた。
はっきり言えば、年に一度くらいのペースで、都合があってその付近には行っていたが、
街の風景を改めて見る機会はなかった。

傍まで来ておりながら、忙しく遠ざかっていたのだ。

改めて街を見る機会を得たその時に感じたものは、
特別な思いがした。

その場所には、交差点の向こうとこちらでそれぞれに町名の大きく変わる交差点がある。
そのうちの一つは、秋葉原に続いている名のある交差点の一つだ。

都営や営団の交差する地下鉄側から、
私の働いていた隅田川方向を眺めた時の印象に強く驚いた。

街の様子があまりに大きく一変していたのだ。
何で今更と思うほどに驚いてしまった。

地勢は一緒でも、建物のほとんどすべてが、建て替えられているのだ。
依然に記憶に染み付いたひと昔前の建物が一切見当たらない。

かつて、その街には通算で前後7年程度は、通い勤め、眺めた街だ。
そしてその街と共に有り、喜びや挫折、あるいは同僚たちと飲んだくれ、
思いを砕いた街でもある。正直、充分な思いレがある。

したがって、
意識もせずに、知らずに記憶していたはずの街のイメージがある。

だが、いま眺める街は、
潜在的に残っている街の記憶と全くマッチングすることなく、
自由に発展し変化していることに戸惑い動揺したのだ。

まるで記憶の地図にはない街になってしまい、そこで迷子になったような。孤立感を抱いた。
動揺したとは少し大袈裟なように思われるかもしれないが。
「…っていうふうに変わってしまったんだな…」と、認めざるを得ない。
そう、思わされたという瞬間だった。

私は、街の様子が一変したぐらいで、何にそんなに驚き、その思い伝えたいのか。
申し上げておきたい。私の一時的な感傷を述べたいのでは、決してない。

私が伝えるべきは、以下のことだ。

私たちは、物理的な現実が変わってほしいと必要に応じてそのように思っている。
いま現状が厳しければ厳しいほど。その思いは強いはずだ。

なのに、なかなか私たちのとりまく現状や環境は、なかなか変わらないとものだと思っている。
その一方で、そうした思いに真っ向から矛盾するようだが、物理的現実は、変わるということも容易に受け入れている。それでも、現実の変化は遅く、変わっていないようにも思っている。
時に苦しくて、一日が長いとさえ思うこともあるだろう。

私が、強く感じたのは、いま物理的現実が目の前ですっかり変わっているリアルな姿だった。
現実の変化は、ゆっくり、ゆっくり、実にゆっくりだが。
そのゆっくりが、いくつも体積して累積してきて、気がつくと、粘性を帯びた現実が変わるという事実だ。確実に変わるという事実。

誰でも、現実が変わるということは、頭で、理屈で相応に理解していることが多いと思う。
私は、私の世界の層が変わっているんだという、深い思いを抱いた。

それは、物質的な現実のみが変わっているのではなく、環境のみが変わったのでもなく、事実、私は、すでにそこに居ない。かつての同僚たちも、すでに他の街にいてそれぞれの人生を担っている。つまり私たちの状態や状況、事情も全く変わっている。私たちの心も過ぎ去ったあの時代と大きく変わっている。

成功法則の先人たちに従えば、私たちの心のあり方が、世界の層を変えている。
環境や状況、状態と示唆する。

私たちは、私たちのそれぞれの人生ラインの中で、制約を受けながら、それぞれの分岐点で、それでも自由な選択をし、自分自身の世界の層を決定し、体験している。

選択について、トランサーフィンのヴァジム・ゼランド氏の言葉を引用させていただく。

   「誰もが何でも好きなことを選ぶ自由を持っているのに、そんなしたい放題の状況を
    決して誰もが信じているわけではない。」

(「[願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2]」ヴァジム・ゼランド[著]
 ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

こう述べ、ゼランド氏は、示唆する。
誰にも、
自分の望む人生ラインを選択する自由があるのだと。
ただ選択をすればいいだけなのだと。

それができないのは、
「私たちの人生が、そんな自由などありはしない」という覚醒しながら眠り続け、意識はその幻想にぐるぐる巻きにされ強制的にそう思いこまされているからだという。

その上で、

   「しかるべき人生ラインに同調するためには、あたかもすでにそうなっているような
    気持ちをもたなくてはならない。」

(「[願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2]」ヴァジム・ゼランド[著]
 ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)

と。
前述したように、とある街の一変した姿が物語るように、
リアルな物理的現実は、あるシグナルを送っている。

あなたのものとなるはずの人生ラインは、あなたの思いに、望んだとおりかどうかにかかわりなくあなたの選択に少しずつ同調していくのだ、と。

【フィリピン・夢見メモ】

私たちを取り巻くものは、すべてゆっくりだが、変化し続けている。ただ昨日と今日を比較して、どこか変わったのかと認識できないでいるだけだ。私は、google Mapのストリートビューで、自由な散歩をするがとても好きだ。思いがけないものを見つけたら、そこへ行くこともある。もちろん、私の住んでいる町からそう遠くない地域に限定されるが。そのgoogle Mapで、彼女の居住区がどのような地勢なのかを、確認して、この本文のような驚きを感じることがある。
彼女とのSkypeで会話で、私たちがよく行った大きな町の一部にモールができたと聞けば、いったいどんなだろう。次に、フィリピン旅行で行くときは、そこへ行きたいと思う。彼女の田舎は、とてもローカルなところだという記憶があるが、それが、ストリートビューで見ると、まるで変わっているので、軽いショックを受ける。どんどん変わっていくな…という思いと、なぜか、焦燥感を覚えるものだ。



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https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/

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https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/

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