私の生涯のうちでヴァジム・ゼランド氏のリアリティ・トランサーフィンと出会ったことには、とても感謝している。だが、その前にいろんな成功法則本を読み、その考え方と出会ったことも、トランサーフィン理解のためには絶対不可欠であったと思っている。大切な礎になっていると思っている。
いきなりトランサーフィンを読んでも、恐らく何も理解できないどころか、本の読破を最初の段階で諦め放棄していたかもしれない。それは私の人生において重大な損失になるところだった。その意味で、いい極めて良いタイミングで、この本と出会うべくして出会ったのだと思っている。引き寄せたのだとも思っている。
先ほど、ふとジェームズ・アレン氏の[「原因」と「結果」の法則](坂本貢一[訳] サンマーク出版)の本を手にしたときも、同じ思いがした。かなり前に読んだものだが、当時は、何かよくわからなかった。
ただ独特な、もの静かな哲学者のメッセージを聞くように、全く無視はできなかった。
だから、今、理解できないとしても、そのまま頭の隅に置いておけばいい。
読んでもよくわからないことは、そのままでいい。不思議と読んだという布石になるのだ。
しかも、その知識は、きちんと体積されて、後で、生きてくるものだ。
必ず、その後の様々な本を読んだ際の理解の助けになっていることを知るだろう。という気持ちで読んでいた。
ゼランド氏のメッセージで、もっとも帯びている特徴のひとつは、限りなく力が抜けるということだと思っている。あるいは想定を超えた意表を突いた概念を提示してくるということだろうと思う。
俗に言う、一休さんのとんちの話で、「このハシをわたるな。」という橋の手前に掲げられた断り書きに、ならばと、堂々と橋の真ん中を渡るという痛快さと、どこか通じているものがあるように思う。
あえて飛行機の話をしよう。
飛行機がなぜ飛ぶのか。それは、ベルヌーイの法則とジェットエンジンの推進力で創り出す、揚力の後押しによるものだ。翼の上下の湾曲具合の僅かな差が、翼の表面を流れる気流の速度に相違を生じて気圧差に変化をもたらし浮力するといものだ。
大まかに言えば、そんなところだ。専門家ではないので、多少の間違いは、お許し願いたい。私が伝えたいのは、感情として、それでも、なぜ、あの鉄の塊は、空を飛ぶのだろうということだ。物理法則は理解できる。だが、やはり感情的に、すっきりしない。
物理の授業などで、そうした説明を何となく理解し分ったつもりだが、それでも、
どこかで、今ひとつすっきりしないのだ。じゃあ、それで飛行機に乗らないというわけではない。しっかり乗る。感情的に疑問があっても間違いなく、空を飛んでいる。鉄の塊が空を飛んでいる。経験的、実践的に納得せざるを得ない。
この事実の中に、トランサーフィンの真髄を理解する鍵が潜んでいるのだ。
だから、私はあえて、この話を始めた。
飛行機に限らない。大型の客船も、大まかに言えば鉄の塊だ。あるいは電話も、どうして世界中に通じるのだろう。もちろん物理的な原理原則が働いていて、それを納得すればいいだけの話かもしれない。
だが、誰しも感情的には、「ふーん、そんなもん、よくわからない…」ぐらいに利便性を優位にして利用している。
飛行機にも乗るし、船にも乗る。電話どころか無線の携帯電話だって、
いま私たちの日常に、欠かせない存在としてある。
ここで、はっきり言うが、
トランサーフィンの考え方と、それら物理的な事象の一つ一つとは、直接の関係はない。
では、どこにトランサーフィンの真髄を理解する鍵が、そこにあるというのか。
飛行機の例で言うが、
それは、
私たちが、理屈はどうあろうと、感情はどうあろうと、あの鉄の塊の飛行機が空を飛ぶということを、”知識”として理解しているという点だ。
もう一度、言う。
知識として理解しているか、実際に見て、経験して納得しているということ、
しかも私たちは、そのことに習慣的にすっかり慣れきっているということだ。
ここにこそ、トランサーフィンの法則が拠って立つ重要な理解があるのだ。
私たちは、願望実現に向けて、ある意味、熱心な祈りだったり、希求や渇望を抱く、その先には、力みが生じる。トランサーフィンは、それをある意味、嫌う。
捨てろとさえ言う。
トランサーフィンがもっとも注視するのは、極力、過剰ポテンシャルを発生させないことに向けられている。
その過剰ポテンシャルについては、
「評価に必要以上の大きな意義が与えられる場合に限って、
過剰ポテンシャルが現われる」
(「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
とするものだ。
私たちの自然のエネルギーの場においては、
平衡力(バランス)を維持しようとする働きがある。
例えば、私たちが特異な感情を抱くということは、どういうことだろう。それは、
「原因」を作ることになり、高じれば、過剰ポテンシャルを産み、自然のエネルギー場において、過剰になったエネルギーは、平準化しようという働きに呑み込まれる可能性がある。
つまり、その過剰となった「原因」を相殺する、まるで面当てのようになる出来事を一方で引き起こす可能性があるとしているのだ。
「原因」は、「結果」を生むが、ある願いを込めた思いの過剰さ故が、却ってその思いを打ち砕く、阻む結果を招くとする考え方だ。
過剰ポテンシャルを説明するために、本題の脇道に反れてしまったが。
正確な詳細は、ぜひ本で理解していただきたい。
私が指摘したいのは、
トランサーフィンの法則としても、
願望実現の方法で、大切なのは次の示唆だ。
「あなたがやるべきことは、自分を説き伏せることではなく、将来、目的が達成される
という知識について、自分が知っていることを時々思い起こすことなのだ。」
(「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
というのがある。
「自分を説き伏せることではなく」とは、
願望実現を願うときに、
例えば、「必ずやり遂げる」というような、あるいは「信じればできる」というような
「信念」を何が何でも貫く、抱き続けるというような考え方があるが、
そうしたことから、トランサーフィンは、まずは、自らを開放する必要があると言っている。
その上で、次に、このメッセージが、
飛行機が空を飛ぶということとどんな関係があるのかと疑問に思われるかもしれないが、
私たちは、理屈として飛行機が空を飛ぶという物理的な法則よりも、
実際に飛んでいるという事実による知識に馴れているという現実がある。
そこを言いたいのだ。
トランサーフィンのメッセージにおいては、極めて単純に述べられている。
願望実現については、法則に重きをおくのではなく、むしろ
「将来、目的が達成されるという知識について、自分が知っていることを」
つまり、
「自分が知識として(ただ)知っていれば、それでいい。」と述べられている。
それで十分なのだと。
もう少し言うなら、目的となるビジョン(トランサーフィンでは、ポジ・スライドと言っている)を描きながら、目的は達成されるものだと想念していればいいと述べている。
☆ ☆ ☆
【フィリピン・夢見メモ】
自分のことはさておいて、私の彼女のことをあえて言わせていただこう。私と彼女が出会って、ほぼ16年-17年以上になる。そのことについて、あまり正確に考えたこともないが。その間、私は数度フィリピンに旅行へ行き、彼女の生き方や考え方とも触れ合ってきた。成功法則を学ぶ私にとって、彼女の考え方特に、彼女が抱いている願いは、私には胸に痛いほどよくわかる。共に裕福ということには、かなり程遠いが、それでも、彼女は、小さなサリサリを設けた。サリサリとは、フィリピンの何でも雑貨屋だ。主に食べ物が中心の小売だ。彼女はビジネスがしたいと常に、私に伝えている。私のサポートしたいと思っているが。人生の運、不運というものもあって、ここ数年ネガティブな方へ触れ切った。潮が返すように、今度は幸運の方へ挽回すると思っているが。その彼女は自分の小さいながらも、何とか、サリサリを続けている。そう遠くない時期に、隣町に展開したいと思っている。夢をもっていれば、その願いは、きっと叶うだろう。
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