私は、結果として、長年、右膝を痛めているが、
その最初の原因となった理由が実にバカバカしいものだった。
カカトのすり減った靴をただ足によく馴染んでいるという理由だけで、
そこからくるリスクを甘くみていた「選択」の結果だった。
靴を変えないといけないことは、かなり前から意識し分かっていた。しかし、
新しい靴に履き替える勇気が出なかったのだ。
理由は、簡単で。新しい靴が、足に馴染むまでに時間がかかり、
その間、足全体や特につま先が締め付けられて痛い思いをするのが嫌だったからだ。
私は足が少しばかりデカいのだ。子どものころからバカの大足というやつだった。
足の横幅がややデカいので、大きな靴屋でも理想的なサイズがなく、いつも悩まされる。
その苦い体験を印象として引きずっているため、馴染んでいるというだけで、
すり減った靴にすぐ依存してしまう。
だが、それも限界があるのだということをつくづく知らされたのが、今回だった。
カカトがアンバランスにすり減った靴のリスクは、腰に歪みをおこさせ、膝痛を起こしたのだ。
朝一番に、新しい靴を履いたが、やはり、新品の靴独特の硬さで、腰、膝、に加え、足のつま先まで、痛みが増した。一週間程度は、辛抱が求められるのだなと思った。
新しい靴にしたおかげで、腰、膝の痛みが、数十パーセント程度引いた。
私は、あえて個人的なつまらないことを話材にして、選択の重要性を書いている。
人生の分岐点だけに、重要な選択があるのではなく、ちょっとしたこの日常の中の些細なところにこそ、いづれ大きな分岐点を生む、また知らずに積み重ねている選択があることを言いたかった。
都度のちょっとした選択の中に、案外、大きな変化をもたらすものがあるのだという
ことでもある。
「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」(ジム・ドノヴァン[著] 桜田 直美[訳] Discover)の項目《56 毎日の自分の選択を見直す》の冒頭には、次の記述がある。
「私たちの人生は選択の連続であり、いい選択もあれば悪い選択もある。
そしてそれらの選択が私たちの行く先を決める。」
(前出「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」:より引用)
と。
腰と右膝痛は、想像以上にひどかった。
馴染んでいる靴というこの甘い誘惑の選択は、もし今少し続けていれば、
もっと深刻で厳しい結果になっていたかもしれない。
ジム・ドノヴァン氏は、選択について、何か向こうを張ったような堅苦しいことは言わない。
例えば、
「昼食でレストランに行って、オーダーを聞かれたときに大して考えもせず
『ハンバーガーとフライドポテトとソーダー』と言ったことが、
何回くらいあるだろう?」
(前出「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」:より引用)
とか、
「本当に体にいい食べ物は何なのか、じっくり考えたことはあるだろうか?」
や、
「仕事のときはどうだろう?慣れ親しんでいるという理由だけで、いつも同じ選択を
していないだろうか?」
(前出「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」:より引用)
などなど、
日常の些細な出来事に、フォーカスしている。選択とは、特別なものでなく、
むしろそういうものだと思う。
だが、確実に言えるのは、その選択は、人生ラインを選択しているということだ。
ジム・ドノヴァン氏は、人生ラインというトランサーフィン的な概念を
言っているわけではない。
「選択が私たちの行く先を決める。」と述べているように、
(前出「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」:より引用)
ほんのささやかな選択の少しばかり向こうの私たちの将来を見据えつつ
それを、意識して語っているだけなのだ。
それをキチンと、
人生は無限数のシナリオを持つ人生ラインで構成されていると、
言うのは
ヴァジム・ゼランド氏だ。
「人生ラインにおける一つひとつの出来事は、良いほうと悪いほうへの二つに
分岐している。何らかの出来事に遭遇する都度、あなたはそれにどう対応すべきかを
選択する。もし出来事をポジティブなものと考えると、人生ラインの好ましいほうへと
進むことになる。しかし、ネガティブに考える傾向を持っていると、
不満を表してしまい、好ましくないほうを選ばざるを得なくなる。」
(「[振り子の法則 トランサーフィン] 超スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法」
ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
ゼランド氏は、人生ラインという特異な言い方をしているが、ジム・ドノヴァン氏の冒頭の発言と基本的には同義だ。
概念の捉え方に違いがあるだけで、人生の一側面は、「選択」という観点で、
見ることの大切さを強調している。
ドノヴァン氏の上述した項目の示唆の中で、私のお気に入りのメッセージがあるので、
これを本日のブログの話の中のキーワードとしたい。
ドノヴァン氏は、講演家のジグ・ジグラー氏の言っているようにという言い方で、
次のように述べている。
「昨日も行ったからという理由だけで仕事に行くのなら、
自分の選択について考え直したほうがいい」
(前出「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功法則」:より引用)
と。
私は、この言葉を受けて、右膝痛を単に馴染んだ靴をチェンジすれば解決するというだけにとどまることなく、根本の部分で。
これは、文字通り痛みを伴った、私にとっての警告のサインだったと理解している。
今日も、朝から、とるに足らない些細な沢山の選択があったが、同時に、今の人生ラインにとどまることなく、違う在り方でポジティブな方向を目指せるように、何らかの足がかりを探しつつある。
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