私には、少し前から、ぼんやりとした気づきがある。
それは、言葉にすると、
「何々なのでは、ないのか。」
という、言い方になるが…。
あまりにもシンプルすぎる事実なのだ。それを私は、ほぼ確信している。
将来、違うことを言うかもしれないが、
そのことまでは、否定せずに、いまの時点では、そう思っている事実について、
述べてみたい。
それは、
「望んでいることは、何の疑いも抱かず、そうなることが当然のように、
純粋に思えれば、必ず現実化するということだ。」
私たちは、実はそのようにできる存在なのではないか。
ということだ。
だが、私たちの心が、
あまりに理性の範囲だけで納得できる常識に囚われ
”何の疑いも抱かず、そうなることが当然のように”にして、振る舞うことがなかなか難しい。
そう思えないように、出来ているというところが、私たちの難点になっているのだ。
”あまりに理性の範囲だけで納得できる常識に囚われ”ることは、
人それぞれの知識や経験の度合いにもよるので、一般化はできないが。「
それでも口にするときのおおよその言葉は、
表現としては、
「何々、できたら、良いけどね…。」でも、「そんなこと…信じられない!」
「まったくあり得ない。」または
「そんな都合のいいことが起こる訳がないじゃないか。」
というような、
自分で造り上げた制限や予測に阻まれる思いについて言うことになるだろう。
それでも、あえて言う。
願望実現の方法は、実は、馬鹿馬鹿しいほど簡単だということ。
「望んでいるものを正しく思えば、必ず適う」という事実だ。
「正しく思えば」というのは、望んでいるものを、せっかく望んでおきながら、
他方で、疑念などにより、それを絶対に打ち消さなければということだ。
あまりに簡単過ぎて、
それが、私たちには受け入れるのが難しいだけなのだ。
望んでいることが現実化するまでに、多少の時間を必要とするが。
現実化するまでに、私たちの心が、あれこれと憶測や判断を許してしまう。
すぐそこまで、現実化しかかっていたものを、邪魔し、否定してしまうか。
まったく打ち消してしまうということもよくあるのだ。
私は、これまでに、幾度とも、
ヴァジム・ゼランド氏の著書で第1巻の「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」
(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)から、
次の言葉を引用させていただいた。
願望実現の真髄として、
それは、
「トランサーフィンは、まるでスーパーマーケットで商品を選ぶように、
文字通り運命を選ぶ方法である。」 (トランサーフィン:第1巻 前述)
だが。
この言葉には、私が上述した
”「望んでいるものを正しく思えば、必ず適う」という事実”を
そのままを見事に導いてくれているメッセージにもなっている。
つまり
私がぼんやりと確信しつつある思いを底辺で後押ししてくれている。
さらに、今回は、
先のゼランド氏の言葉をさらに理解するためのメッセージを
トランサーフィンシリーズの第3巻
(「[振り子の法則 トランサーフィン] 超スピリチュアルな夢実現/幸福獲得法」
ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
から見出したので、
それを紹介しておきたい。
「選択の自由は不可解なほど単純な事実の中にある。
目的達成のために闘う必要はない。あなたに必要とされるのは、
所有する決意だ。」 (トランサーフィン:第3巻 前述)
という。
平たく言えば、頑張ることなく、しかも淡々と、
望むものを手に入れると思えば(決意すれば)いいと言っているのだ。
★戻る | ★前日の記事を読む
★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/
夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/