夢見心地☆飛躍(シフティングの効果)について ★19#0010

夢見空間

先日、「夢見について」のコーナーでの記事アップで、「夢見心地☆不快な出来事はなぜ起こるか ★19#0006」を記述させていただいた。その中で、道路上の対面で、自己本位で相手を忖度しないで、歩行の進路を妨げる妙なサイコパスなオヤジのことを書いた。そこで表記したのは、喚く、怒鳴り散らかすという意味では、決して相手にすべきではない人物という内容だった。

この人物と出会って、いろんな思いが巡ってきた。それを記述しておきたい。

私の個人としての思いは、私自身の深い部分の自分でもよくわからない、正体のつかみ切れていないネガティブなものが、このサイコパスなオヤジを生み出し、登場させたのだと思っている。ということには、一定の私なりの根拠があるのだ。

現在の午前中のパートを始めて、1-2年がたったころだ。私は、地元のある坂道を上り詰め、その頂点にあたるところの四辻の交差点の一方の西側部分が、JRのちょっとした大きな駅になっている。私は、それを横目に見ながら、まっすぐ、南側に今度は坂道を下る。後、2-3分で職場に行きつく。

私のそのころの不快な問題は、
この坂道で、ある不快な人物に、毎朝、一本しなかい道の対面で出会うのだ。3-5分くらいの距離のある道なので、時間をズラして合わないようにしたが、結構厄介だった。
何が、その人物が嫌かというと、生理的に「嫌」というのがある。ただむやみに嫌なのではなく、まず、若いのにツル禿げなのだ。そしてインキ臭い眼鏡をかけいた。

服装が、毎日同じ。頑固そのものの表情。目線を動かさずに、じっと前を向いて歩く。そして、私にとって、もっと問題だったのは、10年くらいかもっと前に、テレビで報道していたが、少女を連れ去り、ほぼ10年間、自宅に監禁して、捕まった犯人の顔とあまりに風貌が非常によく似ていたのだ。

その事件で犯人が、少女の人生を奪った事への怒りが、当時、その風貌に対して激しく嫌悪感を喚起していたこと。たまたま、毎朝、出会う人物と犯人の顔がダブルので、何とも不快になってしまったのだ。事件とは、無関係な人物に一方的に、事件を重ね合わせ不快になるというのは、どう割り引いても、私の方がいけない。それは率直に認めよう。

そこで、私がとった行動は、何とか、この人物と会いたくないというものだった。そのために、
会う時間帯がほぼわかっていたので、思いっきり時間をズラすこととした。
私は、8時30分までに、出勤することになっていたが、出勤は、8時20分ごろにはしていた。

そこで、その人物に出会うのは、多少の時間の誤差があるが、8時15分から20分ごろだったので、計算上は、それより、20分以上早く来ればいいということになった。

ところがである。

私は、早く出勤する体制をとったが、これが不思議なことに、今度は、相手も時間が、ズリあがって、また出会うのだ。夏や冬では、時間が変わるようだった。せっかく、当該人物と会いたくないからと思い、時間をズラしたのに、まるで合わせているように、この人物とほぼ毎日、会うのだ。正直、腹だたしかった。

で、あるとき、もっと早めに出勤し始めた。さすがに、今度は、会わなくなった。当該人物と出会っていたのは、ほぼ半年近くあった。毎朝、この人物の顔を見るが、ほんとに嫌だった。
そして、かなり時間を早くして、出勤するようになって、1年以上たったとき、ある思いがあった。

もう、この人物はいないのではと思った瞬間があった。で、思い切って、以前の8時20分ごろを目安に出勤してみると、なんとこの人物と出会わなくなっていた。私の世界(フィールド)から消えたのだ。正確に言うと、消したのだ。

私は、どう思っていたかというと、シフティングしたと感じた。同じように見える舞台装置(特に街や風景。時に朝出会う人々、あるいは決まった時間など)が、変わったのだと感じた。私の進む人生の道に変化が起きた。これは飛躍なのだ。別のラインへの飛躍した。シフティングなのだと感じたことだ。

正直に言うと、ホッとした。

だが…。実は、こういうシフティングには、何らかのツケは残るもののようだ。
形を変えて、別の不快な人物が現れたのだ。それが、上述した、サイコパスなバカおやじだ。
また、私は、時間を変えてみようと考えた。というのは、早く来ていた時の方が、人生の循環が多少良かったように思うからだ。

私の気持ちが少し怠惰になったころ、出勤時間が、なんとなくぎりぎりになったりして、それから、運気的なものが下がった、悪くなったように思う一面もあるからだ。また思い切って、早く出勤することで、少し人生が好転するようにも感じているので、気持ちを改めようと思いはじめている。

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