夢見心地☆天国で神様に出会った人の話 ★20#0232

フィリピン-ピリピン

トランサーフィンが展開するガチガチで難解な概念やあまりに現実離れした抽象的な理論が展開される中で、意外な挿話がポンッ!と盛り込まれており、この本の不思議な魅力が一層引き立てているように思う。

ヴァジム・ゼランド氏の著書
「[願望実現の法則 リアリティ・トランサーフィン2]」(ヴァジム・ゼランド[著] ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店)
のほぼ中盤に、”天国で神様に出会った人間の話”というのがある。

私は、この話が大好きで、必ず当ブログでこの話を書くと思っていた。
だが、どう記述して良いのか。何に、自分がワクワクさせられているのか。

うまくまとまりが付かないでいた。
そして、今日、ずいぶん温めていたので、何となく書いてみたいと思った。
ゼランド氏の書き出しは、こうだ。

「天国で神様と出会った人間についてこんな寓話がある。神様は人間に
これまで歩んできた人生を見せてあげた。そこについている足跡からすると、
いつも神様が並んで歩いていることは確かだった。そこで人間は自分の人生の
最も苦しかったところに視線を向けた。そこには一人分の足跡しかなかった。」

(前出 「[願望実現の法則] リアリティ・トランサーフィン2」 より引用)

とある。原文の直接の引用は、ここまでとするが、
もちろん、この話には続きがある。
要約すると、こうだ。

人間が、神様に文句を言う。なぜ自分が苦しかったときに、
私に寄り添って歩いていただけなかったのかと…。不平をもらすというものだ。
それに対して、
神様が人間を諭すようにたしなめる。

私は、そこにおったのだと。

足跡がひとつしかないのは、それは、私(神様)のもので、
お前(人間)が苦しい時に、抱きかかえていたから、
足跡がひとつしかないのだという。

もう一度いう。この話が、私はとても好きだ。
心がグラっとくるくらいすごく良い話だなと思っている。

私がこの話で、今日、書いてみようと思った所以は、どんな困難な状況でも、神が傍にいてくれるという単純な話をしたいのではない。
もちろん、私は、それを受け心底入れているが。

そうではなく…。

この話から、気づきを得た。
直接どうのこうと、いまの時点で説明しにくいのだが…。
それは、「作用」と「反作用」についてに関わる。

つまり、この神様の話と、「作用・反作用」が
深い部分で、リンクしているといえば良いのか。その直感が働いたという感じだ。

これまで「作用と反作用」についての私の捉え方は、
まだまだ狭かったのだなと正直思っている。
これからもその理解についてさらなる進化はあると思うが。

特に、「反作用」について、感じるものがあった。
私が、気づきでひらめいたのは、どんな困難や境遇も、それは、「反作用」の表れなのだということだ。それは、何かまずい問題の原因があって、結果、トラブルになっているのだろう。

当たり前じゃないかという指摘もあるかもしれないが。
私は、そんな次元で気づきを得たのではない。

たとえば、間近に迫る困るかもしれない問題や状況がある程度予想されているとき、 それに対処しようと考える。といって、最良の案が出てくるわけでもない。
だから、願ってみる。何とかならないかと…。引き寄せの法則などを信頼して。

しかし、急ぎたい、望んでいる結果は、
一見、思うようになっていないように思う。さらに時間の経過とともに、そして、
おそらく駄目かもしれないと。…で、あきらめる。
それなりの程度に応じて苦痛をなめることにだろう。

私の意見は、それで良いんじゃないかと、ふと思えたのだ。

結果は、受け入れてしまえと。もちろん受け入れざるを得ないだろうが。
どうにもできていないのだから。手は打てていなかったのだから。

ただし、そうした場合の一般的な反応や考えと、私の思いが少し異なるのは、
それでも、良かったのだと。ありがたい結果なのだと思うべきだと思っている。

なぜなら、どんな結果になっても、
私は、そこに法則がちゃんと私たちのために有利に働いているのだと、
そう思えるようになったということだ。
見た目の結果の現象に惑わされてはいけないという意味で。

実は、なんだやっぱり駄目だったかという結果の中に、法則に期待した私たちの思いが、タイムラグで芽吹く良い種を含んでいるということを言いたいのだ。

もう少し、分かりやすく、言うと。

何かしら状況の困難さを生むかもしれない原因(作用)があるとする。
そして、その結果(反作用)を見る前に、状況の改善(原因を作る)を願って、結果を待つ。

ここに、複雑に作用・反作用の法則がクロスする。ダブりかさなりながら、
引き出す結果は、ひとつになる。

いびつな結果は、一見、ネガティブな予想どおりの結果だ。しかし、その結果には、私たちが願っていた結果への思いの種が含まれて、少し時間をおいて、いつかそれは、もうひとつのあらたな結果を生むということだ。

つまり、あの時のあの結果は、いま思うと、あれで良かったのだと思える結果を、
後に引き寄せてくれるということだ。

天国で神様に出会った人間も、苦しい時になぜ、私の傍にいてくれなかったのかと、不満を持つが、それに対して、神様が答えた如く。

私たちは、どんな苦しい状況においても、そんな時は、
神様に抱きかかえれていると象徴されるような導きがあるということ。
自ら創り出していることだけは、間違いないと思う。



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