津留晃一氏の言葉には、身に詰まることがよくある。
時に、私のまとまらない思いに、叱咤を加え、分析してくれ、問題解決への道筋を糸口を示してくれているような気がすることがあるからだ。
その前提に申し上げた上で、
私は津留氏の言葉が、まだ完全に消化仕切れずにおり、ただ飲み込んでいる段階でもある。
あれやこれやの部分で、目を開かせていただいているメッセージもあるが…。
としても、
まだ自分にそれを自分のものに仕切れていない。吟味が足りないのだ。
もっと、もっと、津留氏の示してくれている概念と言葉を浴びる必要を感じる。
いづれ、この場を借りて、津留氏の思いを描出できればいいと思う。ぜひ、そうしたい。
私は、「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳]
角川書店)に頼った。
この本は、やはり凄い。
実に広範に亘って、宇宙を観ている本なのだ。
私が、いま曖昧ながら求めているものは、津留氏の世界に、どうやらありそうだ。
だが、消化しづらい面があると思っている。読んで、私自身に浸透してくるまでに、
少し時間を要しそうだ。
この「ザ・シークレット」には、私が求めている「何か」について、津留氏のようにストレートに語る直接の記述はないが、その周辺については、述べられている。
特に、巻末に近い項目、
「あなたはあなたの過去ではない」
(前出「ザ・シークレット」p264より引用)の中に、
その片鱗が見て取れる。
もどかしいが、それでも目的の場所へいくには、地図を必要とするように。
あらかじめその大まかなマップを見ておくのもいいだろう。
そのディテールは、マップに出ていなくても。凡そ、その場所をどう捉えるかという意味でも。
あるいは、役に立たないとしても。仮に役に立たなかったということがわかるということにおいても。人は、何をどう見たのかということを、確認する意味でも。
私は、何年も続く繰り返し続く、そして忘れた頃に、
再びやってくる私自身の「不足感・足りない」という思いの連鎖について、
その原因を、曖昧ながら掴んではいる。
その上で、
「ザ・シークレット」の記述に、私に響く言葉があった。
それは、引用の引用になるが、
プレンティス・マルフォード氏の言葉だった。
「人生の暗い面をいつも意識し、過去の不幸や落胆した事を蒸し返して生活していくと、
将来も同じような不幸や落胆する事に巡り合うものです。」
(前出「ザ・シークレット」:p265より引用)
この言葉が、私の今の心境を、一番に照らしてくれているように感じた。
私自身、嫌なことは、すべて忘れてきたつもりだった。そういうドライな一面もあるように思っている。しかし、一方で、打ちのめされたなという様々な出来事について、何が原因しているかまでは、正直、よくわからない。
ただ、数年前に、私自身の都合で作ったささやかな負債に、苦しんだ時期は、それなりにかなりきつかった。
もちろん、いまは基本的な合意による解決をみているし、私もそれに応えている。
一定の時間が明確に解決してくれる。
本来であれば、一応解決済みなのだ。心深くには、それが残っているらしい。
埋めても、埋めても、私の「不足感・足りない」ことへのささやかな恐怖がやってくる原因は、
そこにありそうだなとは思っている。
いま、こうしてブログを書きながら、そうなのだなと確信した。
実際、私の「不足感・足りない」は、多くの場合は、お金という形で現れてきている。
私は、このブログに一旦、感謝しよう。なぜか、自分の心が呟いた。
このブログを書きながら、多少ともちぐはぐな心の中の何かに整理がついたようだ。
★戻る | ★前日の記事を読む
★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/
夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/