昨夜の事だった。それは信号待ちしているときに起きた。ほんとにつまらないことで、問題にすることが恥ずかしいくらいなのだが。現代を象徴しているようで。
またこんな中に、実は、人を幸せにする、不幸にする種と多くの示唆が含まれていると感じられたので、あえて取り上げさせていただこうと思った。
今回のきっかけは、当初、明らかに私にいけないところがあった。
私はその交差点を熟知しており、信号の変わるタイミングがよく分かっている。
多少せっかちな性分があるので、見切り発車ならぬ、見切り歩きをしてしまう。
すでに男女、10人前後がその信号の変わるのを待っていた。高層ビル群が立ち並ぶ、この交差点の向こうには、地下鉄の駅がある。信号待ちしている人たちは、何らかの理由で、地下鉄を目指しており、それがために交差点を利用する人が多い。だから、地元の私のように、この信号の特徴をよく知っているわけではないことが多い。
そんなこともあり、
私は、2メートルくらい離れた後方にいることが多い。信号が変わり始める前に、歩き出して、横断歩道の踏み切りにちょうどいいタイミングなのだ。その時は、前方に、ガードレールの横50cmぐらい離れた隣に、若い20代後半か、30代前半の男性がいた。私は、いつものタイミングで、歩き出した。まもなく信号が変わるのが分かっているからだ。
横断歩道に差し掛かった時、信号が案の定、変わった。しかし、その男性の反応は、そこからだったので遅く、その横をすり抜けようとした私と、体の一部が触れた。もちろん私に故意はない。触れた程度だと強調しておく。
すると、こちらを見て、何か言いたそうだった。私も、一言侘びを入れるべきだったとは、思っているが。
すれ違いざまによくあることでもあり、あえてそこまでの接触でもないという微妙な感じだったので、私は、その男の横を、そのまますり抜けていこうとした。と、それが、どうも気に入らなかったのだろう。
今度は、私に競うように歩いて、明らかに、私の進む前をふさぐように、その意図を感じさせつつ2-3メートル併走するように歩いた。
私の言い分を言わせていただければ、
私は、競うつもりもないし、その考えもない。というより相手に関心がない。
歩く私が早いだけだ。昼間の元気なうちは、避けられたかもしれないが。やや疲労感があったので、十分な反応ができなかった。
再び、避け切れず、その男性にまた体が触れた。すると、
その男性が、あきらかに年長の私に向かって「何だ、お前はと!」一喝された。
もちろん、この時も、私に故意はない。
私は、この若い男の顔を「グッと」見て、一瞬、カッなった気持ちを冷静にしようと勤めた。
「相手にするな」と、自分に言い聞かせ、無視してそのまま過ぎた。
実は、まだ続きがあって、
対抗でこちらに向かってくる若い女性らに道が阻まれて、なんと3度目も、この男性に体が触れた。もちろん、これも故意ではない。
この男性に嫌がらせするつもりどころか、関心などまったくない。先ほど、一喝されていても、無視するという基本線が変わっていないので。そのまますぎた。
はっきり言っておくが、私は、避けようとする意思があっても、相手の男性には、それは微塵もないと分かっていた。一度も、自分からこちらに道を譲ろうとはしない態度が見えていたし、それがあきらかだった。
私は、この実につまらない話を取り上げるべきだと思った。
単なる、ささいなトラブルとしてではなく。重要な意味があると思って、恥ずかしい話を始めた。私が注目しているのは、
この若い男の態度であり、特にこの男の言葉なのだ。
私は、このままいつも行く地元のスーパーまで行った。その交差点を渡りきった少し過ぎたところに地下鉄の入り口があり、ここが境目で、相手の男性は、地下鉄に潜ったのであろう。
私は、今起きたことから、いろんなことを汲み取っていた。
特に若い男性のその後についてだ。
この男性は、私に一度怒声を浴びせ、怒りを向けた。そのエネルギーの大きさを考えたのだ。
地下鉄に潜ったところで、彼のタイムラインは、深刻なものを背負っているのだ。
お互いに、「失礼!」と挨拶を交わせれば、所詮、済むようなものを、あえてこの男性はネガティブな怒りの感情に任せ、しかも鼓舞して、そのまま地下鉄に乗り込んだのだ。
この怒りと不快な感情は、彼のタイムラインにあって、そのはけ口を探しており、
ほっといてはくれない。とりわけ、この愚かな男性は、次の同等のあるいは同類のネガティブな状況を、引き寄せてしまうことを知らないのだ。
私は、この男性に怒声を浴びても、聞かなかったことにして無視したので、
それで争うこともなくその場は済んだ。
しかし、私の反撃を受けることもなく、ある意味、怒声を浴びせ勝ち誇ったつもりでいる
この男性は、まだ納まり切らない怒りとともに、地下鉄に乗り込んでいったことになる。
そのことは、実は目に見えないレベルの怒りのエネルギーが、次の出来事を引き寄せているのだ。いづれ、似たような不快な出来事に出会うチャンスを、確実に大きくしている。
今度、何かあれば、相手は、私ではない。好戦的な相手かもしれない。
必ずしも、いますぐにではなくても、このことは、必ず、確実にあるのだ。
私は、斎藤一人さんのYouTubeの動画
◎言霊の偉大な力 斎藤一人
http://www.youtube.com/watch?v=_j9wACQMzp0&feature=related
の動画を、昨日の朝、聞いていた。その言葉を思い出した。
そして、今朝も確認の意味で聞いた。重要な箇所をここに引用させていただきたい。
「それで、あの…、言葉には、言葉の法則がというのがあるんです。で、
このことが分かると、面白いんだけど。あの…、お釈迦さまもね。愚痴とか、
悪口、それから怒りとか、そう言う事、言っちゃダメですよって、
言ってるんですけど。何でですかって言うと、実は、”言葉”って言うのは、
泣き事を言うと、もう一度、泣き事を言わなければいけないことが起きるんです。
その言葉と同じ事を、例えば、いっつも、イライラしていると、何でアイツ、
オレんところだけ、こうやって、何て言うの。…。食べ物運んでくるのを
忘れたりするんだろうな…て、あの従業員、頭に来るな…って言うと、必ず、
それを、もう一回言わなきゃいけない。例えば、お店で起きるとか。
それでもなかったらタクシーに乗ったら感じの悪い人が居るとか…って言う。
イライラして、イライラを口に出すと、もう一回それを言わなきゃいけない
現象が起きるんです。」
この斎藤一人さんの言葉は、単なる成功した商人(あきんど)の言葉として、
軽く見るのではなく、人生の重要な、極めて重要な哲学が含まれているということを、
肝に銘じ、真摯に受け止めるべきだと私は、ますます思っている。
一人さんの言葉は、理論的に語られることは、少ないが、直感的に、悟りの境地で、
真理を知っている方のようだ。私は、ますますそう実感させられている。
そして、ちょっとした私たちの出来事にも、学びがあることも、見逃さないことだ。次に、その起きた事が、何を引き寄せるかを注意深く見る必要もある。
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