記憶なので、正確ではないが、確か…。
「夢じゃ、夢じゃ、これは、夢でこざる!」「夢じゃ、夢じゃ、これは、夢でこざる!」と叫ぶ映画があった。
それは、故・萬屋錦之介が映画「柳生一族の陰謀」のエンディングで絶叫するシーンだ。映画そのものは、徳川家に関わる内容の時代劇という以外に、
正直、全く記憶がない。
映画そのものは、本日のブログにとって、まったく重要でないので。
その程度で、失礼をさせてただく。ただ、映画の内容は全く覚えていないものの、
この映画で徳川の将軍役(松方弘樹)の首を脇に抱えながら、家臣の動揺を抑えるように、
錯乱する萬屋錦之介の迫真の演技シーンは、なぜか、いつまでも記憶に残った。
その後、
映画とは全く関係のない私の日常の中で、何か煩わしいことが私自身に起きた。
その時には、とんでもないことのように思えたことに対して、
自嘲するように「夢じゃ、夢じゃ~!これは、夢じゃ~!」と、
口の中で繰り返したことがあったことを思い出す。
この映画の名台詞は、そんなときによくふと思い出されたものだ。
私たちの見ている世界は、文字通り、夢…。いわゆる幻想だ。
そう指摘する人がいる。
津留 晃一氏がその一人であり、
またトランサーフィン・シリーズの著者であるヴァジム・ゼランド氏も、
バリアントの空間という形而上学的な抽象的世界による設定で現実世界を説明している。
バシャールも同様のことを言っている。
このブログを書く前に、
たまたまYouTubeで、雪の結晶の動画に目が止まった。
◎美しい雪の結晶 Crystal of snow. 4K・UHD
https://www.youtube.com/watch?v=mpKNjn3xbII
だった。
私の住む東京には、ほとんど雪は降らない。降っても2月頃を前後して、
数年に1度か2度程度だ。雪国で雪の被害に悩んでいる方たちからしてみれば、
大変に恵まれている環境にいる。
で、そのひと括りに見ている雪だが。
雪と言えば、私たちのほとんどは、雪という言葉で具現化されたものを見ている。
雪の結晶を一つ、一つを見ているワケでは決してない。
それは、特殊なカメラ機材を使って前述のような動画をはじめて見ることができるのだ。
そして、驚かされるのは、同じ条件下の生成のように見える雪の結晶は、
すべてが違う。そのでき方も様々だ。しかも、形が幾何学模様のようだ、
考えれば考えるほど不思議な形だと思ってしまう。
そして一定の規則性の中で、なぜこんな、
奇妙な形を創るのだろうとつくづく感心してしまう。
誰もが一様に抱いているであろう一定の雪の結晶のイメージというものがあると思うが、
実際は、こうなんだという。それが見事に違っていることに気づくに違いない。
改めて先の映像をご覧になってみるといい。きっと得るものが大きいはずだ。
そして、そこでまず気づくのが、私たちが見ている雪の風景は、
決して、雪の結晶を見ているわけではないということだ。
とりわけ、突然に振る雪に、はしゃぎ、踊る大都会の子どもたちは別として、
雪国では、ただ屋根に積もり、
あるいは、道路を塞ぐ迷惑な雪としてみている場合が多いことだろう。
それでも、先の映像は、私たちに、重要なことを伝えているのだ。
それは、
本質に”より迫る”程度のものすら、
何一つ、私たちは、何も見ていないということをだ。
その意味で、
上述した津留晃一氏は、神がかりなメッセージを私たちに示唆しているので、
その一部を紹介したい。
津留晃一の世界
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/
のホームページの中にある。
すでに他界している津留氏だが、その彼のメッセージ集が、ホームページ上で、
いくつか掲載されている。すべてのメッセージが鋭いが、
本日注目したいのは、
◎信じるものを見る
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/4sinjirumonowomiru.htm
だ。
メッセージを読んだ方なら、きっと、
その示唆に混乱し、困惑をしてしまうだろう…。
私たちの世界観を一変するその鋭さがあるからだ。
その要旨を非常に簡単に、言ってしまえば、次のようになる。
「実はあなたが見ているものは実体のない幻影にすぎません。」
(津留晃一の世界:メッセージ集「信じるものを見る」より)
と指摘している点にある。この言葉は、あまりに深いので、
私自身それをうまく伝える自信がないが。ぜひ、メッセージ全体を読まれることを
お勧めしたい。その上で、何が鋭いのか、その示唆の片鱗を可能な限りを伝えてみたい。
「人にとって目に見えないものを信じるという事はなかなか難しいこと
のようです。誰も自分が確信できないものを信じようとはしません。しかし
この思考パターンを少し変更せざるを得ない現実が最近確認され始めました。
その最たるものが量子物理学の世界です。」
(津留晃一の世界:メッセージ集「信じるものを見る」より)
という。
さらに続けて、
「量子のミクロ世界では、見ようとする対象物は必ず見る側の影響を
受けるというものです。我々人間の目は光で物を識別認識しますが、
ミクロ対象物はこの光により大きくゆがんでしまいます。即ち見ていない
ときと見ているときでは全く別の形を呈していることになります。
ということは、我々が見ているものは、我々が見ていないときの物とは
全く別の物であるという事です。」
(津留晃一の世界:メッセージ集「信じるものを見る」より)
と述べている。
このメッセージで、特に重要なのは、
「我々が見ているものは、我々が見ていないときの物とは
全く別の物であるという事です。」
の示唆だ。そして、それを裏付けるように、
量子物理学者で、
「ザ・シークレット」(ロンダ・バンーン著 山川紘矢+亜希子・佐野美代子[訳] 角川書店)の中に、フレッド・アラン・ウォルフ博士が登場している。以前にも、博士のメッセージを引用しているが、改めて、理解のために紹介させていただく。
「マインド(創造的思考力)なくしては宇宙は存在しないことが、
量子物理学によって発見されています。さらに、マインドが実際に
知覚する全てのものを形作っているのです。」
(「ザ・シークレット」p43より)
と述べている。
先の津留氏のメッセージの言葉の中から、さらに、その世界観の示唆を得るなら、
次の言葉に集約される。
「この世界はあなたが信じたものを見る世界です。
あなたの観念があなたの世界を創造しています。
人は創造エネルギーそのものです。
あなたは毎瞬毎瞬あなたの空間を創造し続けています。」
(津留晃一の世界:メッセージ集「信じるものを見る」より)
故・萬屋錦之助の演技シーンで叫ぶ、
「夢じゃ、夢じゃ~!これは、夢じゃ~!」は、
浅き夢の中で、漂う私たちの意識にとって、演劇上の台詞として納まるものではなさそうだ。
★戻る | ★前日の記事を読む
★過去リンク
夢見についての気づき 2020年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/yumemi/1084/
夢見についての気づき 2019年版 Index(古い順より)
https://isle23ch.com/philippines-pilipin/2798/