フィリピーナの彼女が、日本でのビザの期間を終えて、母国へ帰ったときは私はホッとした。
もちろん、彼女の勤めている店に通う出費で悩むことがなくなるからだ。
さよならパーティを終えて、彼女の帰国をサポートする男たちが、数人で店にやってくる。
彼女もさよならパーティのステージ衣装のまま、慌ただしく、店を出る。
時間は、夜の21頃だ。店の前に車が待機しており、おそらく、そのままか、一旦、彼女たちが半年をほぼ軟禁状態のように過ごしたマンションから、あらかじめ荷造りした、荷物を取り出して、成田空港に向かうらしい。
きちんとした言葉も交わすことなく、彼女は、消えた。
店に残された私やシショウは、気が抜ける。特に私がそうだ。「あー、帰って…しまった。」
「気をつけてな…」という思いとともに、、
当面、この店に来てお金の心配をしなくてもいいんだという思いと、この日までのストレスで、
ややうつろになる。
これで、もう、店に通わないかと言えば、ある種の習慣性のような心情が残っており、私とシショウは、以前ほどではないが、夜、呑もう!ということになる。多くの場合、自由が丘の安い居酒屋で飲み会になる。シショウは、小さな会社を経営していたので、どうしても会議などで、約束の時間から遅れることがある。
私は、待ち合わせの居酒屋で、30分から1時間ほど、待つこともよくあった。一人で、シショウが来るまで呑んでいた時、私は、国際電話のプリペイドカードで、帰国した彼女に電話したものだった。しかし、すんなり通じることは、少ない。決まって、回線が混んでいるという意味の英語で、掛けなおせとメッセージを受ける。
それでも、めげずに、長いプリペイドカードの番号を打ち込み、国番号、彼女の携帯番号を打ち込んでやっと、通じる。
会話しても5分程度だ。それで、新しいプリペイドカードもあと残り、10分ぐらいみたいなメッセージが返ってくる。このプリペイドカードが、20分で、1000円もする。
彼女への電話をして終えてひと段落したころ、シショウがやってくる。
そこで、映画談義や仕事の話などしているうちに、双方とも酔いが回ってくる。こうなると、シショウは、「次、行こう!」となる。時計は、夜の10時近い。私たちが、二軒目に選ぶのは、
新丸子エリアになる。
そこに、フィリピン・パブがあるからだ。私もシショウも懲りずに、またフィリピンパブに行く。この店は、明瞭な料金で、比較的安かった。
自由が丘から東横線で、新丸子駅をめざす。
車内は、まじめなサラリーマンたちが帰宅の電車の中で疲れ切って手すりにもたている。そんな中で、二人の酔っぱらいは、窓に映った自分の姿に、ふと小さな不安におびえる。何をやっているんだろう…オレタチ。そう思う窓の向こうに多摩川が見える。そして目指す駅に着く。東口の商店街を行く。東急ストアの並びには派手なネオンがちらつく。
店の男たちが、誘いをかけてくるが、そこは無視する。
武蔵小杉方面に5分ほど歩くと、その店がある。どう見ても怪しいグリーンのネオン。
アスファルトの路面にまで、その光が、鈍くてらてらしている。店の外観だけ見るなら、ちょっと入るのは中書したくなるが、中はいたって良心的な店だ。私たちが知っている同種のパブの中では、一番暗いが、不健全なことはない。
イベントのショーも、時間通りきっちり行われて、料金でもめるようなことはない。
私は、個人的に、この店は好きだった。ただし、外観の印象だけが悪かった。
この店でシショウは、ショーの合間のカラオケを歌うのが好きだった。
彼の歌は決してうまいわけではないが、味があった。サザンの桑田の歌を歌うのが好きだが、日本人が良くやるように、桑田口調の歌い方をしないのが、私は好感を持って聞いた。
私たちは、そこで、1時間程度過ごして帰ったものだ。
実は、これを書いたのには、理由があって、そのことに触れたいからだった。
その内容とは、私たちは、店にたどり着く前に、神社の横を通り抜けた。その神社は、細長い神社で、大きな鳥居があり、稲荷のようだった。二体のこれも大きなお狐様が像向き合って、私たちを見下ろしていた。妙にシュールに感じた。
私は、夜の底を酔いどれて歩きながら、空を見上げた。数えられるほどの数個の星が見えて、
武蔵小杉方面を見まわしたものだ。彼女は、フィリピンの空の下だなと思う。彼女が帰国してしまったいま、ふと、安心しながらも、またこんなところで、さまよっている自分を思う。
だが私たちシショウとの関係も、何となく、飲み会の階数が減り、どちらともなく、合わなくなった。
それから、7-8年して、ある高層階の建物の階段の踊り場から、奇妙な建物に気づいた。
それは、デザインされた高層マンション群だった。「あれは、どこだろう…?」と思って、その場所を調べた。ネットを通じて調べた結果、武蔵小杉駅周辺の高級住宅のマンション群だということが分かった。
私は、驚いた。新丸子のあの神社から、夜の空を見上げたときに、その高層ビルがあるなんて全く気が付かなかったからだ。「えー、なんであんな大きな高層ビル群に気づかなかったのだろう…」と、ずっと、不思議思っていた。
いくら酔いどれていたとしても、あのタワー・マンション群になぜ気づかなかったのか、まさに夜空のマジックだな…と、不思議でならなかった。
そして、つい最近、その謎が分かった。私たちが、その新丸子のフィリピン・パブを徘徊していたのは、そのタワー・マンション群が、竣工される1-2年くらい前だったのだ。分かれば、なーんだという話だが。数年間、ずっと、不思議に思っていた。文字通りに、狐につままれたようなことになった。
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