昨日、書こうとしたものを今日のブログで書いてみようと思う。正直、一日置いて、気持ちに変化がある。昨日(きのう)、書こうと思ったときのようなワクワク(ともちょっと違うが…。)は、いま何処かへ失せている。
といっても、冷めたという意味ではない。昨日(きのう)に比べて、少し客観視してモノを観ていこうという感じが、いまの時点で膨らんでいるということだ。
ここ数日、なぜか「マジック・ストーリー」(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ[著] 野津智子[訳] ソフトバンクパブリッシング株式会社)の本のことが気になった。
「マジック・ストーリー」とは、ある成功者の成功法則の独白をノートにしたもので、
不幸な生い立ちから、ちょっとした幸運に恵まれ、すべてを失い挫折し、放浪し、再び成功者となるまでのその中で得た成功法則が語られている。成功のための6つの教訓があるという。
前半と後半に別けられ、全体としても100ページ程度の手軽な本だが。
後半には、人生に翻弄されながら知り得た成功のための教訓が語られている。
私が、いま改めて、この本を振り返りたかった理由は、
実は第3の教訓にあった。
特に以下の文言だ。
「あなたはいつでも進む方向を変えることができるし、下ったのと同じ坂をまた
上ることもできる。」
(「マジック・ストーリー」 フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ[著] 野津智子[訳] ソフトバンクパブリッシング株式会社より p63)
という文言にあった。
つまり、無意識に、この言葉を探していたのだなと、思った。
私は、2年と少し前に、私の生活上の理由から、本業とは別に、パートに出た。
生活費を補填するためだった。この仕事のおかげで、金銭的に汲々としていた私は、
生活面では、大いに助けられた。率直に感謝すべきだろうと思う。いや感謝している。
だが、一方で、精神面では、代償としてボロボロになった。
詳細はこれ以上は、書かないが。
結論から言えば、
望んではいないことには、何があっても、藁をも掴むつもりになっても、
苦し紛れに選択してはならないという、重要な教訓を得た。
そして、度々、書いているが、たったひとりのパート職ということもあり、
先方の都合でという理由で、今回、一定の猶予付きで、近々のうちにリストラされる
ことになった。私は、それを”喜んでクビになる”というブログで、
書ける範囲でプライベートなことをボカしながら書いた。
私は、成功法則を標榜する当ブログに、その意味について、何らかの意義を感じており、
必要だと思って、曖昧表現ながら私の一部のプライベートな部分を、
自らの恥部を曝け出した。
で、現在、辞めるタイミングについて、いろいろな事情も思惑もあり、
職を失うリスクのこともあり、
…迷いがあり。
それに関連して、昨日、プライベートすぎるのでという理由で、
ある程度をちょっとした思いを書きながら、いざ書いてみると、
恥ずかしさが増してきた。結果、思い直して、削除し、その内容の記述を控えた。
別な内容に変更してしまった。
この件について、これ以上を書くのを控えるが、この2年間を含め、
概ね自分に起きたこの間の事情について、とても感謝している。本気でそう思っている。
実に、砂を噛むような味気なさとともに学びが大きかったからだ。
そんな中、自分だけにいま起きている体験として、私の内部のストレスのようなものが、
「マジック・ストーリー」の本を開いてみたいと、思わせたのだと思う。
その探していたものが。上述した言葉なのだ。
私が、今日書こうとしたのは、そのことというより、同じ「マジック・ストーリー」を開き、
部分部分を読み返しながら、
心に、響くものがあったので。むしろそちらを書きたいと思ったのだ。
それは、成功ための第1の教訓の項目中にあった。
過去に赤いマーカーを入れていた箇所でもある。
「幸運というものは、どんな理不尽な運命に翻弄されていようと、
ある特定の弱者に微笑みかけることがある。」
( 「マジック・ストーリー」 フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ[著] 野津智子[訳] ソフトバンクパブリッシング株式会社 p58 より引用)
という箇所だった。
この部分は、この本の主人公の独白の中で、彼が若い時に出遭った思いがけないことが起きた
成功体験についての箇所だった。(物語では、その後、大きな挫折するが。)
そして、前述の傍線とそこに近いもう一箇所に、やはりマーカーを入れていた。
それが、以下だ。
「言い換えれば、こういうことになる。幸運は、現実となって現れる
ずっと前から、私の人生の一部になっていたのだ、と。」
(「マジック・ストーリー」より p59)
という箇所だった。
私は、トランサーフィン(ヴァジム・ゼランド氏の著作シリーズ)を
学んでいる最中の者として、この箇所について、深く思う。
この主人公は、トランサーフィンで言うところの、
物語の上で、「人生ラインを乗り換えた」という解釈をさせていただいた。
そして
人生ラインの(= トランサーフィン上は)変更不可能なシナリオについて、
この作中人物が、著者の思いをこの著者の表現で綴っているのだなと痛感し理解した。
さらに、理解を深めると、
この変更不可能という意味は、
冒頭に取り上げた、第3の教訓の先の言葉
「あなたはいつでも進む方向を変えることができるし、下ったのと同じ坂をまた
上ることもできる。」
(「マジック・ストーリー」より p63)
と、実はリンクしているのだ。
つまり、
変更はできないが…。(=トランサーフィン的に)
については、
「あなたはいつでも進む方向を変えることができる」(=「マジック・ストーリー」的に)
これらの部分で、実は、
トランサーフィンの第1巻に次の記述がある。
「今いる人生ラインの上で何かを変更することは不可能である。
あなたが絵画館にいるとして、自分の好みに合わない展示品を撤去したり、
配置替えしたりできないのとまったく同じだ。そこでは、
あなたが主人ではない。けれども、もっと気に入ったものを観ようとして、
後戻りし、別のホールへ移動することは誰も禁止していない。」
(「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店 p55 より引用)
著者が違うのに、似たような人生についての思いが語られていて、
面白いと思わないだろうか。
「マジック・ストーリー」の本の中に、トランサーフィンで扱っている
「人生ライン」も「バリアントの空間」も、言葉としての概念はない。
だが、優れた作品は、いずれも、
どこか、同じモノを見ているという例を知らしめられるのだな…と、私は思った。