私は、今日のタイトル”夢見心地☆眼では見えない魂の永遠”とさせていただく。あえて「永遠の魂」とはせずに、「魂の永遠」とさせていただいた。多少違和感を持つように倒置して表記した。強調するためでもある。
私は、これまでどちらかと言えば現実思考派だと思っていたので、スピリチュアルな世界をあえて積極的に受け入れて臨むタイプではなかった。よく分からない派ということもあり、
「まっ、それでいいか。」ぐらいのタイプであった。
もちろん基本は、客観的な科学的なものの見方を、率直に受けいるタイプでもある。
それを自認した上で、成功者の著作や記述したものを読んでいるうちに、
一つのある傾向に気づいていた。
そんなあるとき、マーク・フィッシャーの「お金持ちになる人の心の法則」(橋本美穂訳 ディスカヴァー)の≪第7の法則 賢く辛抱する≫の中の
の次の記述に出逢って、確信を得た。
「非常に若いときから成功を手にした天才(この章の中では、モーツアルトのこと意味している)の場合は、前世からの十分な準備を積み重ねている場合がほとんどである。」
(お金持ちになる人の心の法則」 マーク・フィッシャー 【著】橋本美穂【訳】ディスカヴァー)
さらに、
「彼らは、はるか昔から種を蒔き、その成果を現世で収穫しているのである。」
と。
私にとっては、成功者に特有な”ある一つの傾向”に気づく上で、
何がどうで、こうでというような、明確な根拠を示せないが。
それでもある種、直感めいた確信を得た記述だった。
私が、成功者の多くに感じ見たもの。
それは、
「魂の永続性を信じている」ということにある。
こんなことをいきなり書けば、違和感を持つ方も当然いるだろう。それでいい。
ばかばかしいという考え方をする人を否定する気もない。
信じようと信じなくてもいい。
ただ、私は、成功者ほどその傾向が強いと感じておりそう述べたいだけだ。
またそれは、なぜだろう…と思っている。
そして、魂の永続性を信じることが、なぜ注目に値するのか。
その、当然の結果のように…、
私自身の中で、心の作用・反作用を信じることと、
関係が深いからだということに行き着いたのだ。
心の作用・反作用については、このブログで2・3度触れてきた。
極めてシンプルなことだが、
心に思うことが、外の世界に物質化し表出してくるという意味で、
心の作用・反作用を言っている。
作用・反作用は、宇宙を貫く揺るぎない大法則だ。
この作用・反作用は、物理的な分野で使用される言葉だが、
精神世界は、別だ。と、考えるとするなら、それ自体が、理屈として破綻している。
私たち人類の発展史を顧みるなら、自明の理だ。
私たちは、思い、考え、願って、物質世界を創造してきたのだから。
むしろ、当てはまらないとする理由がない。だから、引き寄せの法則が言われているのだ。魂の永続性とは、どんな意味を持つか。
私たちが、宇宙を創造した無限の生命の源と一つであるという認識を意味し、
それは、普遍の存在だということ。
私たちの肉体は、個人的で、現世だけで存在し、一時的であるが、肉体に宿っている。
だが魂は、普遍だということだ。スピチュアルな世界では、当然のように受け止められている。
そのことが受け入れられるなら、
私たちは、なぜ存在しているのかという疑問も湧いてくるだろう。
それは、
私たちの魂の成長のためだ。
他に理由はない。
というより、それで充分じゃないか。
もし、魂の永続性を受け入れられるなら、それとどう向き合うかということになる。
私たちは、作用・反作用の宇宙の大法則のもとで、
自分で蒔いた種を、自分で刈らなければならないことを、
身をもって生き覚悟して、成長していかなければならないということだ。
現世で、一個人としての肉体に宿り身体を所有して、一生を終えた時、
その現世で行った種まきは、現世で生き存在しているうちに、
すべてを刈り取れるというわけではない。
プラスがあれば、マイナスもあるように、
作用・反作用は、何が何でも厳密に実行される。
とするなら、その後の別の人生を生きたときに、それは引き継がれ、
刈り取りを引き受けなければいけないことも意味している。
もう一度、くり返し強調するが、
成功者の多くは、魂の永続性を信じているらしいことを、
私は、強く感じている。