毎日私たちは、目の前の外側の現実を当たり前のように、
ただ受け入れ多少の不満はあるにせよ一定の妥協する。
不満や文句を言って揉めるより、
とりあえず波風を立てないよう我慢することが多いだろう。
「妥協…。」これは、人間社会の生きていくうえでのちょっとした知恵で、
非常に便利なツールだ。
妥協の仕方がうまいと、それだけで「大人対応」として評価さえされるだろう。
だが、この「妥協」には、実は注意が必要だ。私たちが目の前にしている現実を、
無条件に肯定しているだけで、不満の続く現実をひたすら自らの思いで
固定化するだけに過ぎないからだ。
そして、今度はその思いによって固定化した現実が、
私たちの思いを執拗に思い込みとして強固にする。
私たちの毎日は、気づかずぬうちに、
こうしたことを場面場面で繰り返し反復し、
相対的に望まない現実の最中で暮らすようになる。そうだとすれば、
多くの場合、私たちの外側の真実は、妥協の産物になってしまう。
だが、外側の真実とは、もっと折り合いのつく、
信じがたいほどに単純なもののようだ。
ただしそれを受け入れることは、なかなか容易ではない。
としても、
そのうえで外側の真実について、以下の示唆をご紹介したい。
私は、「人生の扉をひらく『万能の鍵』」(ラルフ・ウォルドー・トライン[著] 吉田利子[訳] サンマーク出版)の中で、
たった2行ほどの真実の言葉を見出した。
今日も、多くを述べず、シンプルに行こう。
その2行ほどの真実の言葉とは、
「人に起こることの原因はその人のなかにある。
自分に何が起こるかを決める力は自分にある。」
(「人生の扉をひらく『万能の鍵』」ラルフ・ウォルドー・トライン[著] 吉田利子[訳] サンマーク出版:p157より引用)
この言葉は、トライン氏だけでなく、数多の賢人たちが述べている真実だ。
賢人たちの例をあげるとキリがないので、ここに、
もう少し突っ込んだ言い方をしているチャールズ・F・ハアネル氏の言葉を、
追加しておきたい。理解の助けになるだろう。
「実在するのは思考だけです。状態は外への顕れにすぎません。
思考が変わると、外側の物質的状態のすべてが創造主である思考に
合わせるために変わざるをえません。」
(「ザ・マスター・キー」チャールズ・F・ハアネル[著]
菅 靖彦[訳] 河出書房 p189より)
と。
私たちが「ひとつの真実」に目覚めても、そこへ至るまでに付随されてきたものが必ずある。
それが、しばらくのあいだは、あるいは思考の変化の代償としてついてまわるのだろう。
つまり物理的現実という粘性のような変化は、真実というものの周りにドロリくっついており、
なかなか削げ落ちはしないようだ。
それでも、その新たな真実にフォーカスし続けているうちに、
私たちは、シフトを繰り返し、
やがて相応の思考の結果を得るようだ。
蛇足になるかもしれないが、もう一つ引用しておきたい。
「あなたの外側は内側の世界の反映なのです。」
(「ザ・マスター・キー」チャールズ・F・ハアネル[著]
菅 靖彦[訳] 河出書房 :p191より)