このブログでは、何度かトランサーフィンのメッセージを取り上げているが。
中でも、私は、このメッセージが大変お気に入りだ。なぜなら、
きわめて日常的なことで表現しているが、
実は、かなりシュールな世界観がそこに見え隠れしているように感じるからだ。
そのメッセージは、
「トランサーフィンは、まるでスーパーマーケットで商品を選ぶように、
文字通り運命を選ぶ方法である。」
(「[振り子の法則] リアリティ・トランサーフィン」ヴァジム・ゼランド[著]
ほおじろえいいち[監修] 須貝 正浩[訳] 徳間書店 p31)
というメッセージだ。
これは第1巻の第1章《バリアント・モデル》の冒頭部分に出てくる言葉で。
何ともさり気ないメッセージの中に、私たちの人生の本質がそのものズバリで込められている。
トランサーフィンの概念と方法そのものが凝縮されているのだ。
少し乱暴な言い方を敢えてしよう。もちろん、私の捉え方、見方だが、
トランサーフィンによれば、
人生は、恐ろしく、しかも、バカバカしいほどシンプルだということ。
それが実感だ。
そう感じたとき、私は、斎藤一人さんの講演(著作本の付録CDなど)の話を想い出す。
頭の中で、一人さんの言葉が、あの独特のダミ声と一緒にリフレインする感じだ。
「え…、幸せのなり方(会場の盛大な拍手)…。光の玉にね。幸せのなり方、聞いたの。
だって、死ぬの怖くなりたくなかったら、幸せになりたいよね。人生でね。
『幸せってどうやってなるの?』って聞いたの。そしたら…、
実に、す、ごーいバカバカしいの。
だけど、その通りにやるとうまくいくの。ただ、みんなが思ってるほど、この話は、
簡単な話じゃないんです。すごーい深いです。深さ50cmです。(会場大笑い)」
(「斎藤一人 千年たってもいい話」斎藤一人[著] マキノ出版)の付録CDより)
このメッセージは、私の頭の中で、これまでにも、何度か繰り返し、想起されることがある。
いまも、そうだった。
アンチ宗教観の強い方が、このメッセージを斎藤一人さんの背景も知らず読めば、
訝る方もいるだろう。
私は、そう思う方のために、ことごとく詳細を述べないこととしたいと思う。
理由は、私の話が、どんどん別の方に逸れるので。
また、このことについては、過去のブログに何度か触れてきたので、興味があれば、
そちらをご覧いただきたい。ということにし、ここでは、取り上げないこととしたい思う。
で、話を戻すと、
この先、一人さんのメッセージは、幸せのなり方として、
結論から言えば、
「いま幸せだと思うこと」が、大切だと述べている。
幸せだと思うこととは、そう「選択」するということだと。
幸せだと思っていることが当たり前のようにする。
そう言っておきたい。
「そんなことで、幸せになるわけがないだろう。」と、現実的な方が、
そのように思うのは、
それも「一理です。あなたは、正しい。」と答えておく。
しかし、
そう思うことは、ただ、自分で、
「そんなことでは、幸せになれないという自分を選択をしたのですね」と申し上げておく。
私は、斎藤一人さんのこの話の部分のメッセージの中で、
注目し重視しているのは、
「『幸せってどうやってなるの?』って聞いたの。そしたら…、
実に、す、ごーいバカバカしいの。」
と、言っている部分だ。このメッセージの中でも
特に、「実に、す、ごーいバカバカしいの。」と強調している部分だ。
一人さんの言いたかったことは、
そんなバカバカしいことが、「人生の法則」だということだ。
冒頭にあげた
トランサーフィンの概念を通して、私なりに理解したことは、一人さんが言うがごとく
だということを実感している。
つまり、
「実に、す、ごーいバカバカしいの。」
というくらいの「人生は、シンプルだ」ということだ。
だが、そう思えなくして、人生を謎めいた、
何かしら途方もなく困難で、複雑なものにしてしまっているものがある。
それが、理性だ。
常識に制約を受ける私たちの理性(顕在意識)が、それを素直に認めることを
全く許してくれないのだ。
ヴァジム・ゼランド氏は、第2巻の中で、常識に制約を受ける理性について、
こう表現している。
「常識とは、私たちを一生閉じ込めておく籠であり、そこからの脱出は
一筋縄ではいかない。」(「トランサーフィン」第2巻 p104)
と。理性とは、良くも、悪くもそういう性格のものなのだ。
その制約だらけの理性の理解を超えたところに、人生の真実がある。
トランサーフィンは、次のように言う。
「選択の自由は不可解なほど単純な事実の中にある。目的達成のために闘う必要はない。
あなたに必要とされるのは、所有する決意だ。」
(「トランサーフィン」第2巻 引用先のメモ不明。もしかすると3巻かもしれない。)
これは、私たちの人生は、「ただ選択」すれば良いのだと言っている。
選択をし、そちらに注意を向け、望んでいることが、ひとりでにそうなるのだと委ねるように、
ただ選択する。その場合の判断として、より良いポジティブな選択をすべきだと述べている。
☆ ☆ ☆
【フィリピン・夢見メモ】
信仰の深いフィリピンの私の彼女が、いよいよ苦しくなって、半ば、無力な気分になったときに、ふと最後の一言をいう。それが、「ナントカナル」だ。これは推測だが、彼女の信仰の中に、どんなに苦しいことがあっても「なんとかなる」という教えがあるのかもしれないと、思ったものだ。私も、彼女に相づちを打つ。そうだね。「何とかなるよ。」大丈夫と肯定的に
促している。事実、ここ数年は、辛い場面が多かったが、何とか乗り切ってきた。そういう自信もあって。私たちは「ナントカナル」なのだ。
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