私は日ごろから、注意深く周りを見ている。
次元の片鱗を見出したいからだ。
異なる次元を私たちは、絶対に見ることができないものなのだろうか…。
私は、感じたり、それらしいものが、
私たちの次元に尻尾の先の先を覗かせることがあるのではと、勝手に思っている。
ただ私たちには、気づくことがなかなか容易ではないようだ。
あまりにもリアルな物理的現実に、見事に溶け込んでいるからだろうと思っている。
私があえてそんなことを書いてみたいと思ったのは、
やはり、リアリティ・トランサーフィンシリーズの著者
ヴァジム・ゼランド氏の作品の中の
「りんごが空に落ちていく」というキーワードの影響によるものだ。
今朝、ある出来事に遭遇した。
そして、それは、実は、以前にも、見かけたものだった。
それは作り話ではない。実際にあった事。
ある出来事とは、
共同住宅の廊下を歩いていた時だ。壁伝いの小さなクモに気付いた。
虫はどの虫も苦手だが、クモにも対しても嫌煙した気持があるが、
若干、他の虫を見る目と私の中では、異なっている。
妙な言い方だが、嫌いだが、一目を置いているというあたりが、ニュアンスとして近い。
そのクモを、何気なく見ていたとき、ちょっとちょっかいを出した。
近くにあった箒を手に取り、クモの進路を塞いだりして、クモを混乱させたのだ。
そして、次の瞬間それが起きた。
垂直に立つ壁を這っているクモが、
箒で茶化されていることにストレスを
感じているであろうクモが、
わずかにジャンプして箒の災いから逃げようとした。
壁の真ん中あたりで。
私が、ハッとしたのは、
何が何でも、ジャンプして逃げようとするクモの懸命なその姿ではない。
私の関心を引いたのは、物理法則を明らかに無視する現象そのものにあった。
なぜなら、
クモは僅かだが、ジャンプした際に、垂直の壁から90度真横に飛び、
一時、2-3cmほど壁から離れて、
再び、這いずり回っていた垂直の壁に着地し戻ったのだ。
そんなことあり得ないじゃないか…。
そもそも、
垂直の壁を移動すること自体、大変に負荷の掛ることなのに、
なぜ、ジャンプして落ちることなく、
元の壁に吸い寄せられるように着地できるのか。
もう一度、言いたい。
そんなこと、あり得ないじゃないか。
もう一度、それが見たくて、箒で、クモを追い回した。クモには、一切、触れないように。
クモは相当、ストレスを感じたろう。何度も、壁から落ちた。
そして、再び、そのチャンスがやってきた。
ついに、彼はジャンプしたのだ。
そのジャンプが、あきらかに壁から5cm以上に及んだ時、
さすがに、物理現象に逆らえなかったらしい。あるいは、エラーだったのか。
クモは壁から落ちた。
壁から、落ちても、それ自体は不思議ではない。不思議なのは、
先ほど、同じ彼がやって見せた瞬間技にある。
私は、クモのこうした現象を、以前にも見たことがある。
だけに、今日、それを見たことに、驚いたというより、以前にみた芸当として、
単に、思い出した。
恐らく、このことには、科学的な何か説明がつくのかも知れない。
例えば、
瞬間にクモが糸を、壁につけて、その粘着で、壁に戻ったとか。だが、
クモが瞬間に糸を吐いたようには見えなかった。
ジャンプしたときにも、糸を活用したようには見えなかった。
私が、このことで言いたいのは、
科学的な後付けの「なるほど…」というような説明にあるのではない。
私たちの現象の中には、思いがけないことが起きるということにある。
ゼランド氏の「りんごが空に落ちていく」というキーワードは、
そのこと思い出させてくれる切っ掛けの言葉として、
私は、次元の尻尾を探しているのだ。