夢見心地☆タイガーバームで、迷子 ★19#0030

yorunosoko フィリピン-ピリピン

1997年に香港が、中国に返還された。その返還がなされる前の数年前、当時、仕事関係でお世話になっていた映像制作プロダクションのスタッフに、「返還前に、香港へ行ってみないか」と誘われたことがある。私自身は、海外に言った経験が全くなく、海外へ行くことに興味があったこと。

またフリーの映像の仕事もそこそこあって、経済的にも余裕があり、自由がきいたので、喜んで了承した。旅行へ行くことになったのは、誘ってきた制作会社の社長と、そのスタッフの女性1名とその友人の女性で、2対2の4名で言った。

成田で、集合ということだが。私は、海外音痴なので、成田へ行くことにも自信がなかったことで、制作会社の女性スタッフ1名と東京駅で待ち合わせて、成田エクスプレスで行くことになった。ところが、座席を予約していなかっために乗ることができず、タクシーで、成田まで行くことになった。これは、暗示的だった。しかし、そこまで気づかなかった。

同行したスタッフの女性とは、ある程度仕事を通じて、気楽に話をする関係だったが、成田エクスプレスに乗れなかったことを悔やんでいたのか。その時の対応で、「リムジン」というキーワードが出て、私が、「リムジンて何?」と聞くと、ひどく馬鹿にされた。リムジンの言葉は聞いたことがあっても、それが何か知らなかった。

ただこの女性は、以前、海外旅行を手配する会社にいたこともあり、英語もでき、本人自体、海外には何度か行っていたことで、旅行に慣れていたこともある。その意味で、私が「リムジン」すら知らないことを許せなかったようだ。そもそもこの旅行を企画したのは実は、彼女だった。

私は、文字通り、旅費以外、すべて人任せで、ホテルも、航空券も彼らが用意してくれていた。とにかく彼らが企画したとおりに、ついていくだけ良いのだろう…。それでいいものだと思ってすべてお任せしていた。

香港へ行くと、なんとも魅力的だった。街は、英国領だったこともあり、しっかりデザインされた街並みが、美しく。様々な広告を貼り付けた2階建てバスも、私の気分を高揚させた。中国風と英国が、見事に折衷されたデザインに私は、興味津々だった、とにかく、私は、みんなについていくだけでいいと、呑気に構えていた。4泊5日の旅行だったと記憶している。

ホテルは、日航ホテルで、とても素晴らしい客室だった。私と社長の相部屋。女性スタッフも相部屋で、2部屋だった。私は異国情緒に、かなり感激していた。どこかの大飯店に行ったときは、まさにこれぞ、中華のレストランということで、その規模に驚いた。

私が、香港で、最も強い関心を抱いたのは、居住区の建物だ。すべてが、鉛筆のように細く高層の居住空間だった。継ぎ足して、さらにそこに継ぎ足したとしか思えないような不安定な造りで、ベランダの手すりも安ぽく、いまも幼児が手すりの隙間から足を出して、外を眺めている。危険そのものだった。洗濯物も、そこら中に窓に干されている。

生活感にあふれたその建物の群れを、私は、後ろに倒れんばかりに、その風景を眺めみた。
中国人の生活力の凄さに驚いた。

3日目だったろうか。もともと旅行に組まれていたのだろう。タイガバームへ行くことになった。私は、タイガーバームもよく知らなった。後で、傷薬か何かの軟膏で、財を成した人のテーマパークだと知った。奇妙な造形物に違和感を持ちながらも、刺激的な印象を受けた。

そして、私のとにかくお任せの気分が一瞬で、狼狽と困惑と不安になる瞬間を受けることになった。私は、ちょっとした弾みで、彼らとはぐれてしまったのだ。同行した3人となぜはぐれたか、わからなかった。気づくと、私一人で。私は、あわてて彼らを園内で探した。ところがいない。「どうしよう…。」どうすればいいか、全くわからなかった。

とにかく、彼らを探したが見当たらない。広いといっても、そんな大それた公園ではない。私は、置いてきぼりを食らったと理解した。ともかく、バスを降りた場所へ行ってみることとした、彼らが探しているかもしれないと思って、そちらに向かった。だが、居ない。
「え、どうしよう…!分からない。どうやって帰るんだ!」

私は、数台止まっていたバスの行き先パネルを見た。中国語で書いてある。そりゃ、そうだ。ただ、困惑した。そのパネルを見て、見覚えのある1文字に目が留まった。「尖」の字だ。
私は、香港に来て、彼らと夜の食事をするときに繁華街で、見た駅の名前に「尖」という文字が、何となく心に引っかかっていた。

一か八か、このバスに乗ってみた。もちろん、彼らは乗っていない。私は、バス料金をどうしたか思い出せない。無料だったのか、あるいは、両替はしていたので、なにがしかの料金を払ったのかもしれない。そして、20分ほどで、バスは終着駅に止まった。ここで降りるしかない。

香港の大都会に一人、彷徨った。何となく見覚えのあるようなところを歩いて、突き進んだ。
途中、屋根付きの歩道橋というか、通路を歩いて、突き進んだ時、突然、私の足元で、人がするするとうごめいた。私を見上げて、金を無心している身障者だった。足がなく、両手で、
移動しているようだった。それが、スルスルとやってきた理由だった。

私は、この身障者に2度びっくりした。彼の両腕が、何とも奇妙なコブだらけで、非常に気持ち悪かった。同情するまえに、恐怖の襲われ、ヒュルリと逃げた。
「何の病気だ!あれは…」気色が悪くなって、ゾッとした。

今は、私は、迷子なのだ。このまま行き先もわからず、土地勘もなく、ただ直感に任せて、行くしかなかった。

どのくらい焦りながら香港の街を歩いていたのか。何気なく、ふと見ると、あの「尖」の文字の駅のそばに来ていることに気づいた。「あー、ここだ!」ここの通りなら、香港へ来て、2-3度、ここを通っている。宿泊しているホテルがわかるかもしれない…、妙な自信が出てきた。

ややしばらく歩くと、何となく、夜歩いて馴染みのある、商店街であることに気づいた。ふと目の前に日航ホテルにたどり着いた。無事に戻れた。感謝だ。ホテルで制作会社の社長と顔を合わせたが、さして心配していなかったことに、ほかの女性たちも同様だ。「どこへ行ってたの…?」の言葉もなく。ひどく冷淡だなと思った。

私は、彼らと旅行に来たことを後悔した。香港は刺激的で、異文化体験をして、非常に感動をした。だが、時がたつに連れて、その思いとは反比例して、一人置き去りにした彼らの態度には、違和感があった。いまつくづく思う。

さらに言えば、ここがポイントだが。「尖」という文字が、夜の食事会で、何となく気になっていたこと。記憶に残っていたこと。加えて、
もしかすると、気味の悪いあの身障者は、私を正しい位置に戻れるように、ここへ導くために、脅かしてきたのかもしれないとなぜか感じる。神の見えざる手が働いたのかもと。

いまだから正直にいうと、私のノー天気さは、宿泊しているホテルの名前さえきちんと憶えていなかったのだ。これは恥ずかしいことだ。だが、成人した大人が、置き去りにされ、迷子だなんて。

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