全国的に均一という意味での話ではなく、東京地方に限っての話だが。
ここ数日、あまり天気が良くなかった。やたら寒く。
PCのキーボードに乗せる手も、ひんやり凍えるように冷たくなる。
そして、
今日は、昼下がりに短時間だけ日が差した。
そんな一日だ。
この天気にふと思った。
この天気を選択し、天気の模様までを作用させ決めているのは、
やはり自分の思いなのだな…と。
本日は、
「マスターの教え」(ジョン・マクドナルド[著] 山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社)を開いた。
割と抵抗なく、すんなりと読める本だが。
この本の中にも、
著者がどこまで気づいていたのかは分からないが。
ちょっとしたある示唆が含まれている。
その流れで、私も、ようやくある意識で、この外的環境というものについて
認識を変えつつある。
前出の本の中で、少し気になった部分があるので、
あえて、引用させていただこう。
この本のもっとも中心的な部分を成す
《第9章 あなたという存在は、実は「意識」です》という項目の中に、それがある。
「五感を通してあなたが経験するものは、現実化し、目に見える形になった
心の中のイメージです。」
(「マスターの教え」ジョン・マクドナルド[著]
山川紘矢+亜希子[訳] 飛鳥新社:p69より)
とある。
このメッセージは、一見、どうということはない。
うっかりすると…。
「ま、そうだね。」と思えてしまう言葉だ。
だが、このメッセージを倒置すると、思わぬことに気づくのだ。
文意を同じにして、以下のように変えてみた。
「現実化し、目に見える形になった心の中のイメージを、
(私たちは)五感を通して経験しているのです。」
と。
このメッセージも一見、形而上学的な概念の入口の前で、
受け止めると、そう驚きもない。
多くのスピリチュアルリーダーたちが言っている、代表的な内容の一つだ。
「その通りだな…」と思える。
さらに、
この考え方を受けとめ、受け入れられたとき形而上学の入口から、
さらに少し入口から中へ入り、遠慮気味に覗いただけで、
あることに気づくのだ。
つまり、
心のイメージに従って現実が創出されるなら、それを体験しているというなら。
こうだ。
たとえば、私たちが体験するどんよりした灰色の雲が立ち込めた日も。
また今日のように、
一時的に昇る日のありがたさを思わされる外的環境も、
すべて含め私たちを取り巻く物理的世界は、少なからず意識していようがいまいが、
私たちの心的状態を何らかのカタチで反映したものの一つだということに気づかされる。
、
すべては、意識の中で、選択し、創出(現実化したもの)されたものを私たちが、
後付けで、五感を通じて、観て、感じて、理解しているということなのだ。
このことは、
「マスターの教え」のさり気ない文章の引用の中に、
実は、思わぬ含みが秘められているのだと気づくことになる。
だからといって、
私たちの物理的現実が、すべて意識が創ったものだということを、
俄かには承服できず。頷けない部分もあるだろう。
とするなら、
私たちの周りを一度、見回してみるといい。
私たちが便利に使っているモノ。なくてはならないもの。
すべてに依存し生活しているモノ。
それは、どうして在るのか。……もちろん、どこかの会社の誰かが創ったからだ。
たとえば、TV受像機は、
自然になっている木の実のようにか。またはりんごの実のようになっていたものだろうか。
あるいは、海から大漁で、網にかかったものだろうか。
…そんな馬鹿なことを思うものはいないだろう。
すべては、私たちの地上の星と呼ばれる誰かの思考エネルギーの集積で、
その人たちの意図によって創られたものだ。
私たちの現実のほとんどのものが、そうしたものに多く取り囲まれ、
恩恵を受けている。
彼らが、考えて、考えて、考えて。
思って、思って、望んで。その結果だ。
私は、この大地も地球もその他の惑星も、星もすべて、
実は、意識が創り上げたものなのだと理解している。意識の波動が物質化したものとして。
私たちの意識を含めた、宇宙意識そのものが。その広大で、無限なエネルギーが、
この物理的世界を作り上げていると。
そして、
私たちは、この宇宙意識が、宇宙全体の隅々にまで、
文字通り、遍在し、散逸して。在る。意識の端くれなのだな…と、ふと思わされる。
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